2012年3月13日(火)

「アドラムとミツパへの逃亡」

聖書箇所:サムエル記第一22:1-23

今朝の聖書箇所にはサウル王から逃れて、アドラムの洞穴に身を隠すダビデの逃亡生活が描かれています。
ダビデの両親や兄弟たちが彼のところにやって来て、彼と行動を共にしました。 また、困窮している者、負債があり奴隷に売られる恐れがある者、不満のある者たちも皆、彼のところに集まって来ました。 およそ400人もの人々がダビデのもとに集まり、彼とともに生活を始めました。 ダビデは彼らのリーダーとなります。 また、ダビデはアドラムからモアブのミツパに行き、モアブの王に両親をあずけます。 一方、サウル王は謀反を企てたという罪状のゆえに、ノブにいる祭司たちを皆殺しにしました。 エドム人ドエグによる情報の提供によって、サウル王は祭司たちの殺害を家来たちに命じますが、家来たちも主を畏れてサウルの命令に従いませんでした。

サウル王の命令に従い祭司たちに手をかけたのは、エドム人ドエグだけでした。 ただ一人サウルの手から逃れた祭司アヒメレクの息子(祭司エブヤタル)は、ダビデのもとに身を避けます。 ここではサウルがイスラエルの王としてふさわしくないことが明らかにされています。 対照的にダビデこそイスラエルの王になるべき人物であることが描かれています。
サウル王はダビデも大祭司も腹心の家来たちも謀反人として決めつけます。 サウルが大祭司とその一族を殺したことは、主に油注がれた王が行う正しい行為ではないことを、民たちの心に印象強く植え付けました。 サウルは自分の利益のために神の祭司たちを聖絶し、さらに罪を重ねます。サウルは自分自身を神の座に置くことによって、高慢になりました。

サウルとは対照的に、ダビデは力を蓄えて成長してゆきます。 彼は一介の逃亡者から一団の勢力の旗頭となり、モアブの王に交渉する権利を持つほどになります。 彼はサウル王の王位後継者であることを人々が証言しています。 預言者の託宣はダビデを導く足のともしびとなり、祭司アヒメレクによる神の導きが彼の確信となり、ついには祭司エブヤタルと共に生きることによって、ダビデの歩みは確かにされてゆきます。私たちが選び取らなければならない人生の道は、サウルの道でしょうか。 それともダビデの道でしょうか。
私たちは自分自身の意思によって、どちらかの道を選択しなければならないのであります。

【 結 論 】
私たちに試練があるのはどうしてでしょうか。
自然災害による苦しみや悲しみだけでなく、生きることそのものが苦しみや悲しみを伴うものであることを知って、それを厳粛な思いをもって受け止めてゆかなければならないのです。マルティン・ルターの 「日々のみことば」 を通して語られている神さまの御心をご紹介して、本日の宣教を終わらせていただきます。(3月11日付け「マルチン・ルター 日々のみことば」は省略)
「主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。」             (詩篇94:12)