2011年12月11日(日)

「光はやみの中に」

聖書箇所:ヨハネ1:1-5

ヨハネの福音書は、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。」 と始まります。これは創世記の冒頭を髣髴(ほうふつ)とさせます。

「初めに神が天と地を創造した。 地は茫漠(ぼうばく)として何もなかった。 闇が大水の上にあり、神の霊が 水の上を動いていた。 神は仰せられた。『光があれ。』すると光があった。・・・・・」
「ことば(ロゴス)」 とは普通のことばではなく、特別な人格あるお方、世界が造られたときにすでに存在しておられたお方として描かれています。 イエスは 「はじめに神とともにおられ」、「すべてのものを造られた」 (2-3節) お方です。 まさに、彼は神であり、世界の創造される以前から存在され、創造のみわざに関わられたお方なのです。 また彼にはいのちがあり、それは人の光であると教えられています(4節)。

ヨハネは 「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(5節) と宣言します。 「打ち勝つ」 と訳されているギリシャ語の 「カタラムバノー」 は、「心で把握する」 と 「力で把握する」 との二つの意味があります。 前者は 「理解する・悟る」 と訳され、後者は 「打ち勝つ」 と訳されます。 後者は 「闇が、輝いている光を打ち消すことができなかった」 となり、前者は 「闇が、輝いている光を理解することができなかった」 となります。闇をこの世にたとえ、光をイエスにたとえるなら、この世がイエスを理解せず、受け入れなかった歴史的事実が浮かび上がってきます。

この世は暗闇におおわれています。 イエス誕生のときは暗黒の時代でした。 ローマ帝国に支配され搾取されていた人々は、非常に貧しく惨めな生活を強いられていました。 国内では倫理道徳的腐敗が進み、偶像崇拝や偽善や賄賂などのあらゆる不正が横行していたようです。イエスは宗教的指導者の偽善を告発しました(マタイ23:13-15、25-28参照)。 私たちの生きているこの時代も暗闇が支配しています。 世界中に自然災害が頻発し、内戦や戦争もやみません。 深刻な経済不況が世界規模に広がりつつあります。 人々の心の中にもまた暗闇があり、これによって多くの犯罪が表面化しています。

例えば、アテネと北京のオリンピック大会で2回も金メダルを取った柔道66キロ級の選手であった内柴正人元監督(大学柔道部監督として活躍)は、教え子である10代の少女に暴行を働き逮捕されました。 栄光に輝く元オリンピック選手の内側に潜む暗闇の現実です。 また、私の中学生時代の同級生であるM君は、現在K大学の硬式野球部監督です。 2009年に酒気帯び運転とスピード違反で沖縄県警に検挙されたことがわかり、処分を受けました(12月7日朝日新聞朝刊による)。 中学生時代に軟式(ソフト)テニスのペアを組み、長野の県大会(団体)で優勝した仲の良い友達であっただけに残念。 彼の心にも闇がありました。

【結論】
私たちの心の中にも闇があるのではありませんか。 キリストはこのような闇の世界に来てくださり、私たちを闇(罪)の中から救い出し、光の中へ導いてくださるお方です。
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(5節)