2011年8月14日(日)

「まことの平和を求めて」

聖書箇所:イザヤ書2:1-5

今年は未曽有の地震、津波、原発事故を経験して、例年とはまったく異なった思いで、この記念日を迎えておられるのではないでしょうか。 さて、太平洋戦争で300万人以上(約320万人)の同胞が亡くなられました。そして、1945年8月15日、日本はアメリカ・イギリスなどとの戦争に無条件降伏し、事実上敗北したのです。
これに先立ち8月6日に広島に、9日に長崎に原爆が投下されました。この原爆投下によって1945年末までに広島市で14万人(人口35万人)、長崎市で7万人(人口24万人)が亡くなられました。長崎では田上富久・長崎市長が「平和宣言」を読み上げました。 東京電力福島第一原発事故を受け、「『ノーモア・ヒバクシャ』を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのか」「人間の制御を過信していなかったか」と指摘。「長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換」が必要として、脱原発を目指す考えを示されました。福島第一原発事故は、私たちにとって非常に大きなショックでした。ありえないと言われていた事故(メルトダウン=炉心溶融)が日本で起こってしまいました。 それは25年前に起きたチェルノブイリ原発事故と同規模かそれ以上のできごとです。

最近、「新版チェルノブイリ診療記―福島原発事故への黙示―」(菅谷昭著、新潮文庫)を読みました。多くの事を教えられました。菅谷昭さんは、現在長野県松本市の市長の役職にあります。信州大学医学部助教授(現在の准教授)の職を辞して、ベラルーシ共和国の子どもたちの甲状腺ガンの治療のために、単身で現地に渡られました。1996年から2001年まで5年半、ウクライナに隣接するベラルーシで、内分泌外科、とりわけ甲状腺外科の専門医として医療活動に従事されました。菅谷昭さんは福島第一原発事故による内部被曝がもたらす子どもたちへの健康被害の危険性に対して、警鐘を鳴らしておられます。 福島第一原子力発電所の事故を甘くみてはならないと思います。目に見えない放射線の影響は知らないところで私たちの肉体を蝕んでゆきます。その結果は10年後、20年後になって甲状腺ガンなどの形で表面化してくるのですから、長期的な闘いになることを知って、知恵ある行為が求められると思います。私たちキリスト者の信仰が試されると思います。

【 結 論 】 
さて、みことば(イザヤ2:1-5)を開きます。これは「終わりの日の祝福とさばきについて」の預言であります。北王国のヤロブアムと南王国のウジヤの時代の平和と繁栄が、見せかけで一時的なものであることをイザヤは見抜いていました。ここに描かれている世界平和の情景は、神ご自身のさばきによって保証されています。それは核による抑止力とか、大国のエゴの押しつけによってやっと保証されている平和ではありません。
神さまの教えが人々の心に自発的に受け取られる結果として生じる、まことの平和なのです。「来たれ。ヤコブの家よ。私たちも主の光に歩もう。」(5節)