2017年3月5日(日)

「祈りの勧め」

聖書箇所:テサロニケ 5章16節~18節

Ⅰ.祈りとは何であるか
「祈り」について考えます。
ウエストミンスター小教理問答の「問98」は「祈りとは何であるか」とあります。
その「答え」は以下のとおりです。「主を知り、主を喜ぶ~子どもから大人まで~教理問答によるデボーション」という書籍(発行・正統長老教会〔OPC〕日本ミッション、著・Starr Meade、訳・佐藤強、魚本つる子)の中にある「答え」をご紹介いたします。
 「祈りとは、神さまのみこころに一致することのために、キリストの御名によって、私たちの罪の告白と神さまのあわれみへの感謝と共に、神さまに私たちの願いをささげることです。」

Ⅱ.身勝手な祈りではなく
どんなことを祈るべきでしょうか。神さまのみこころに一致する願いを神さまにささげることです。たとえば「白山道グローリーが対外試合に勝つことができますように」、また「明日は運動会です。雨が降らないように」と祈ることは相応しい祈りでしょうか私たちは自分に都合のよいことだけがかなえられるように祈るべきではありません。 自分のチームが勝てば、負けるチームもあります。雨が降らなければ、困る人々もいることに気づかなければなりません。
 幼子の「あした天気になりますように」という祈りであるなら、仕方ありません。 しかし成熟したキリスト者の祈りは、このようなレベルにとどまるべきではありません。 主に喜ばれるための祈り、他の人々に対する思いやりのある祈りが期待されるのではないでしょうか。

Ⅲ.神さまのみこころに一致する願い  
私たちは神さまが私たちに望んでおられることを願い求めなければなりません。 たとえば「Aさんを愛することができますように」、「Bさんの罪を赦すことができますように」とか、また「神さまをもっと知ることができますように」という内容の祈りをささげるべきです。
 パウロは以下のような祈りの模範を示しています。「こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。 また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。」(コロサイ1:9,10)

【 結 論 】
 祈りとは神さまのみこころに一致することのためにあります。 自分の願いがかなえられることが祈りの目的ではなく、神さまのみこころを知り、それに従うようになることが祈りの目的なのです。キリストご自身も父から十字架という杯を授けられた時、喜んでそれを受けることができませんでした。 しかし苦悶して祈り求めた結果、受難の杯を飲み干す決心をし、父のみこころに従いました。
 「絶えず祈りなさい」との教えに従うとともに、私たちもイエス・キリストの模範に習って、神のみこころに従う者とさせていただきましょう。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサ5:16-18)