2011年5月8日(日)

「ケイラとジフにおけるダビデ」

聖書箇所:サムエル記第一23:1-29

ダビデはサウルの追撃から逃れ、ユダの荒野をさ迷っていましたが、ダビデの兄弟たちや不平不満のある者たちなどが彼のところに集まって来ました。ペリシテ人がケイラを攻めていることを知ると、ダビデはそこに下って行って彼らを打ち破り、ケイラの住民を救い出しました。
サウル王はケイラにいるダビデとその部下を攻撃し、城壁の町の中に彼らを封じ込めようとしました。 主に伺いを立てたダビデは、「ケイラの住民が (恩人である) ダビデをサウル王に引き渡す」 ことを知ります。 ダビデとその部下たちはケイラから出て、ユダの荒野をさ迷い歩きました。

身内であるケイラの住民に裏切られたダビデは、誰も信じられない危機的状況に追い込まれました。 ダビデがジフの荒野に隠れていた時も、ジフ人たちがサウル王に密告してダビデの動向を知らせていました。 また、ダビデとその部下がマオンの荒野にいる時、サウルとその部下がダビデを捜しに出て来て、岩を仕切りとして目と鼻の先まで近づきました。危機一髪の状況の中でも、ダビデはサウルの手から救われます。 サウル王の追撃の手は、いつもいつもダビデに迫っていて、いつ捕らえられてもおかしくない状況でしたが、主はダビデを守り、彼をサウルの手に渡されませんでした。主がダビデを保護されたのです (14節)。

【 結 論 】
(1) ダビデは身内であるユダ部族 (ケイラの住民も含まれる) から裏切られて、信頼すべきすべての基盤を失います。 危機的状況にあるダビデの心を励まし力づけたのは 「あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つものとなるでしょう」(17節) というヨナタンの真実な言葉でした。

(2) 危機一髪の状況下、サウルの殺戮 (さつりく) の手からダビデを救ったのが 「仕切りの岩」でした。 この 「仕切り」 とは、主が受け継ぐべき地をくじを引かせて分配した時、用いられた語 (「仕切り」は分ける、分離する、割り当てるなどの意) です。一つの岩が、サウルとダビデを分け、思いもよらぬペリシテ人侵入の知らせが、サウル王の計画を無に帰し、ダビデを危険から逃れさせたのです。

この「仕切りの岩」は単なる偶然の産物ではなく、ふたりが全く異なる神さまからの贈り物を受け取る運命の「仕切り」でもありました。 後にサウル王はペリシテ人との戦いによって落命し、ダビデは命長らえてイスラエル王の地位を獲得するのです。
ペリシテ人から国民を守る使命をなおざりにし、ダビデ追撃に血眼になる異常さ。 これとは対照的に、命の保証も顧みずケイラ救出を優先させ、ペリシテを撃破するダビデの真実さ。
ここにイスラエル王を髣髴 (ほうふつ) とさせる勇士ダビデの姿がありました。 ここにふたりの将来の姿が暗示されています。

(3) サウル王の凋落(ちょうらく)とダビデの隆盛は、まさに主のご計画なのであります。 人の考えを尊ぶのではなく、神の御心を知ることこそが、私たちの使命と納得するのです。
「人の心には多くの計画がある。 しかし主のはかりごとだけがなる。」 (箴言19:21)