2011年4月3日(日)

「光である主イエスに従おう」

聖書箇所:詩篇119:105

Ⅰ.罪深いのは誰か? 
東日本大震災は未曽有の被害をもたらしました。大津波によって、多くの人々が家族を失い、家を失い、コミュニティーを失いました。被災地の人々の悲しみは今もいやされていません。なぜこのような大震災が起こり、なぜ多くの人々の命が奪われたのでしょうか。

私たちには答えを見出すことができません。 しかし、あえて聖書のみことばを引用することを許していただけるなら、私はルカの福音書13章1-5節を開きます。「ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。 ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。イエスは彼らに答えて言われた。『そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。 わたしはあなたがたに言います。 あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。 ・・・(以下省略)・・・』」

今回の大震災で亡くなられた方々が、私たちよりも罪深い人々なので罰を受けたのではありません。私たちも悔い改めないならば、滅ぼされるべき存在なのです。私たちは自分が高慢であり、自分の欲望を追い求めて贅沢の限りを尽くす存在であることを知りません。
多くのものを失ってはじめて、いかに恵まれた環境に置かれていたのかを知ったのです。

Ⅱ.みことばを食べる恵み
私たちは、毎日ご飯を食べなければ生きてゆくことができません。 同じように、私たちキリスト者はみことばを食べなければ生きてゆくことができません。 私たちは読みたいときにいつでも聖書を開くことができますが、ある日突然聖書が奪われて、みことばを読むことができなくなるとしたらどうしますか。
今回の震災を経験した人々が、家があり、毎日温かい食事を食べることができ、お風呂に入れる普段の何の変哲もない生活が、いかに恵みに満ちているのかを知ったように、私たちも聖書を読むことができなくなって、その恵みの大きさを知るのではないでしょうか。

預言者アモスは言いました。
「見よ。その日が来る。――神である主の御告げ――その日、わたし(神)は、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。」(アモス書8:11)  キリスト者一人ひとりに聖書が与えられていて、一人ひとりが自由にみことばをいただけることは大いなる恵みなのです。どうして、与えられているこの特権を用いないのですか。

Ⅲ.結論
どうぞ皆さん、今年度目標を立て、自分の能力に応じ、自分のペースで毎日みことばを食べてください。
「イエスはまた彼らに語って言われた。『わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。』」 (ヨハネの福音書8:12)
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」  (詩篇119:105)