2010年1月3日(日)

「将来と希望を与える」

聖書箇所:エレミヤ書29:11

エレミヤ書29章11節のみことばは、預言者エレミヤをとおして語られた神のメッセージであります。
今からおよそ2600年前のことであります。 北王国はアッシリヤ帝国によって前721に滅ぼされ、南王国も前586年にバビロニヤ帝国によって滅ぼされました。

1.将来と希望を与えるみことば 
母国の苦難の中にあって語られた預言者エレミヤのことばには、「希望の光」 が輝いていました。それは「ユダとエルサレムの人々は、一度はバビロンに捕囚の民として連れて行かれるが、70年後には解放され、再び ユダとエルサレムの地に帰って来る」という、救いのメッセージでありました。

2.神の計画の実現と預言の成就を待ち望む 
バビロンに移された民たちのもっとも大きな疑問は、「エルサレムの神殿がもはや破壊されなくなってしまったのに、神殿なしに神さまを正しく礼拝できるのか」という疑問でありました。これに対して、できると主はエレミヤをとおして語られました(12、13節)。まさに青年ダニエルのバビロンでの信仰生活の姿が、そのことを証明しています。エルサレムに対する思慕の情は絶ちがたく辛いものでしたが、神殿なしには神との交わりが成立しないというものではありませんでした。ですから、捕囚の70年間を無駄に過ごすべきではなく、神の計画の実現と預言の成就を待ち望んで、一日一日を大切にするべきであると、主は教えておられるのです。契約の民としての生活は、バビロンにおいても続けられなければなりません。それは一方では、家を建て、畑を作り、その実を食べ、妻をめとり、子どもを育てるという日常生活を忠実に続けることです。他方では、神殿の祭儀はなくても、日ごとの祈りを守り、安息日の礼拝も守り、信仰と悔い改めと希望に生きる生活を守り続けてゆくことです。神の民は神の教えに忠実に従い、それを行い続けてゆくときに祝福を受けるのであります。たとえこの地上では、その祝福を勝ち取ることができなくても、天の御国において受ける報いは、いかに大きいことでしょうか。

【 結 論 】 
現代も捕囚生活とまではゆかなくても、多くの困難や闘いがあります。この不況下、多くの人々が生活苦にあえいでいます。政治的な混乱も続いています。環境問題が世界的なレベルで深刻さを増しています。また愛が冷えている時代であり、家族内の多くの問題が表面化しています。モラルの低下ははなはだしく、殺人をはじめ凶悪な犯罪が日常化しています。

このような状況にあって、閉塞感はますます強まってきていますが、私たちにとって今朝のみことばは大きな希望です。このみことばの約束を信じ、神さまに祈り続けましょう。祈ることや礼拝することをやめないで、従い続けましょう。他方、日常生活の営みを忠実に続けてゆくこと。家を建て、仕事をし、その実を食べ、妻をめとり、子どもを育てるという日常生活を勤勉に忠実に続けることであります。これこそが私たちキリスト者に与えられている責任であり、主をあかしする大切な働きではないでしょうか。