2015年1月4日(日)

「罪赦されたものの幸い」

聖書箇所:詩篇 32:1-11

Ⅰ.序(すでに罪赦された者の感謝の詩)
詩篇32篇はキリスト教会において、昔から現在に至るまで「七つの懺悔(ざんげ)の詩」あるいは「悔い改めの詩篇」と呼ばれてきたものの一つです。

この詩篇は内容から「罪赦された者の『感謝の詩』」と言えます。普通、罪の赦しを願う歌は「嘆きの詩」の形式であることが多いようです。ところが、この詩篇は「罪赦された者」が主に感謝と賛美をささげています。
この詩篇は「罪の苦悩の中にあって、今もその赦しを求め続けている」という、現在的な苦闘を歌い上げた歌ではありません。「その罪がすでに赦され、過去において罪の問題が解決された」ことからささげられた感謝の詩です。1節から6節までが「感謝の詩」であり、7節から11節には「教訓的な教え」が語られています。

Ⅱ.平安といのちと喜びの祝福
今朝は1節を中心に「罪赦された者の幸い」を思いめぐらしたいと思います。
「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。」
「幸いなことよ」はヘブル語でアシュレーと言います。詩篇1篇1節にある「幸いなことよ」と同じ語が用いられています。これは複数形であり、様々な祝福であり、地上的、物質的な祝福であると考えられています。もちろん、地上的、物質的な祝福を全く否定する必要はありませんが、もっと大切なのは、律法に対する内的な喜びです。「幸いなことよ」とは、主の教えを行う人々の心の中に与えられる平安といのちの喜びを表現している言葉なのです。

Ⅲ.律法の目的は「幸い」である
さらに「幸いなことよ」という語は、「なおく歩む」という動詞からきていると考えることもできます。そこから「幸いなこと」とは、抽象的な静的状態ではなく動的な人格的行為であるとも考えられています。詩篇の他の箇所でも使われていて、詩篇全体の基本的な思想の一つとなっています。聖書全体から見ても、モーセが亡くなる前に語った言葉の中にも「幸いなこと」の思想があります。「しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民。主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。あなたの敵はあなたにへつらい、あなたは彼らの背を踏みつける。」(申命記33:29)
律法の目的は人を幸いにするものであるとモーセは語っています。少し、飛躍しますが、イエス・キリストも天の御国への希望を約束された人々の幸いを教えておられます。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものです。」(マタイ5:3)

【結論】
罪赦された者には、豊かな恵みが与えられます。この世からは決してもたらされることのないものです。それは神からの賜物です。詩篇32篇10節,11節には、次のように歌われています。「悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。正しい者たち。主にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。」