2014年9月14日(日)

「二つの招き」

聖書箇所:箴言 9章1-18節

ここには「知恵の招き」と「愚かな女の招き」という二つの招きがあります。
知恵がいのちに招くのに対して、愚かな女が死へと招いています。 この二つの招きの間に挟まれているのが、知恵のある者とあざける者という二つの道を歩む人についての格言です。

Ⅰ.知恵の招き(1-6節)
知恵の招きは、誠実であり豊かです。  知恵の家では豊かな食事の準備がなされ、「わきまえのない者はだれでも、ここに来なさい」(4節) と招かれます。しかし、知恵の招きであっても、すべての人がそれに応えるとは限りません。

Ⅱ.愚かな女の招き(13-18節)
知恵が擬人化されているように、ここでは愚かさが遊女として擬人化されています。 知恵が神を表すのなら、愚かな女は悪魔を表すと考えることもできます。 この愚かな女は遊女として、さまざまな悪へと人々を誘います。不道徳な行為も偶像崇拝もみな悪です。遊女の誘惑はエデンの園における蛇のように、きわめて巧みであり、知恵の招きと同じことばを使っています。 しかしその意味するところは全く違っているのです。 彼女が提供している盗んだ水は甘いのです。
この教えは非常に深刻です。 盗んだ水とは何ですか。 盗んだ水とは姦淫を指しています。姦淫の罪があらゆる悪の象徴であるのは、それが神を表す知恵の呼びかけに対抗しているからです。悪魔を表す罪深い愚かな女が神に逆らい、人々を悪へと招いているからです。ここにあるのは死と滅びです(18節)。

Ⅲ.格言(7~12節)
大切なことばは 「わきまえのない者」 と 「あざける者」 です。 わきまえのない者とは、知恵に欠けている人です。 ですから、知恵を得ていのちの道に入る人、「知恵のある者」 なのです。一方のあざける者とは、神に逆らうものです。 神のことばを聞けば聞くほど心をかたくなにして、かえって神を呪い反逆する人です。「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」(10節) という教えは、わきまえのない者が知恵の招きを受けてわきまえのないことから、いのちと悟りの道へと移り変わっていく初め(変わり目)を示しています。
いのちを選ぶか、それとも死を選ぶかかについて、最終的にその責任を負うのはあなた自身なのです(12節)。

【 結 論 】
本日の午後、コスモス愛餐会が催されます。 22名のゲストの皆様をお迎えして、豊かな交わりの ひとときがもてます幸いを感謝いたします。「わたしによって、あなたの日は多くなり、あなたのいのちの年は増すからだ」(11節)  との教えのように、長寿が与えられている皆様への主の祝福に感謝いたします。 皆様のこれからの日々が、感謝と喜びに満ち溢れたものでありますように。
今日のみことばの教えは、若者たちに語られています。 諸先輩のように知恵のある者とされて、御国の希望を失うことがありませんように。 若者たちが、いのちと悟りの道を絶えず選びとれるように、イエスさまのあわれみと導きを乞い願います。
「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」(10節)