2015年7月12日(日)

「十戒」

聖書箇所:出エジプト記20章1節~17節

イスラエルがシナイ山のふもとに宿営していた時に、ヤハウェ(主)はモーセをシナイ山頂に呼び出し、そこで「十戒(十のことば)」を授けました。

第一戒(1-3節)は、ヤハウェの神だけを信頼し、愛し、忠実に仕えるようにと戒めています。
主(ヤハウェ)とイスラエルとの間にほかの何ものも入ってはならないと命じられています。イスラエルの民が命ある限り、すべての領域で主だけを神とし、ほかの神々を信じてはならないのです。
第二戒(4-6節)は、神の像を作ることを禁じています。 古代世界において、神の像とは神そのものでした。 従って、神の像と神の現在とは密接に関連していました。人々は神の像を用いて呪術をすることができました。 主が神の像を作ることを禁じた理由は、主が生きて働かれるのを、人間が妨げるからにほかなりません。
第三戒(7節)は「みだりに」神の御名を唱えることを禁じています。 古代世界では、「名」とは、名を帯びる者の実体と力を示すものでした。 神の御名を知ることは、神との交わりを持つための基礎でした(士師記13:17)。 主は人々が神の御名を悪用し、みだりに唱えることを禁じています。
第四戒(9-11節)は、主を恐れることが、私たち人間の本来の正常な関係であることを教えています。 日常的な働きをやめることによって、神との本来の正常な関係を回復することが、安息日の目的です(申命記31:10以下)。

第五戒(12節)は、父と母を中間的な神的権威者として敬うべきである、と命じているのです。
「敬う」とは、神ないし神的権威者を重んじることを意味しています。 「父と母」はこの地上における神の権威の代表的存在です。 「父と母」を敬うことは、とりもなおさず、絶対者である主(ヤハウェ)を重んじ、この神に従うことに通じるのです。
第六戒(13節)は、生命(いのち)の保護を目的としています。
第七戒(14節)は、結婚を尊重する考え方です。
第八戒(15節)は、契約の民(イスラエル)の行動の自由を保護するのが目的です。 旧約聖書では盗みの場合、物と人とを厳密に区別しています。 人を盗んだ場合(誘拐)だけ死罪となります(出エジプト21:16)。 この戒めは、本来は人を盗むことを禁ずる戒めなのです。
第九戒(16節)は、契約の民(イスラエル)の名誉や人格を尊重し、さらには契約社会の基本的な秩序を維持するのが目的です。
第十番目の戒め(17節)は、契約の民(イスラエル)の私有財産の保護を目的としています。

【 結 論 】
私たちが互いに愛し合い、平和に暮らすためにはどうしても規則は必要です。
主は人間が幸せになるために十戒を与えてくださいました。 しかし、私たちは律法を完全に守ることができません。 守れないからこそ、イエスさまの十字架の救いが必要なのです。罪ある者を葬り去るのではなく、愛をもって罪を赦してくださったイエスさまの大きな愛に感謝いたします。主を愛する者となりましょう。
「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(6節)