2015年8月2日(日)

「神の御住まいである教会」

聖書箇所:エペソ人への手紙 1章19-22節

Ⅰ.霊的なクリスチャンとは
「あなたは霊的なクリスチャンですか?」

信仰の原則から言うなら、キリストが私の罪のために、身代わりとなって十字架に死なれたと信じる者は救われています。イエスさまを救い主と信じた者は、新しいいのちを受けています。キリストの救いにあずかっているなら、あなたは「霊的なクリスチャン」です。しかし現実には、クリスチャンであっても毎日多くの罪を犯しています(ガラテヤ5:19-21)。キリストにあって確かに救われてはいますが、しかし私たちは完全な者ではありません。私たちが理想とするクリスチャンは、神を畏れ、神を愛する者です。主の前に敬虔な者が霊的なクリスチャンであると言っても過言ではありません。

Ⅱ.教会とは
教会とは何でしょうか。イエス・キリストを救い主と信じる人々の群れです。今朝の聖書箇所から教えられることは、イエス・キリストの偉大さです。キリストは十字架に死なれ、三日目によみがえり、天にのぼり、神の御座に着かれたお方です。神さまはいっさいのものをキリストの足の下に従わせられるお方です。神さまは、この偉大なキリストを教会にお与えになりました。
 教会はキリストのものであり、キリストの栄光を現わすために存在しています。教会は神の聖所であり、神の御住まいであります。教会はこの世のものとは全く違います。教会は企業ではありません。企業は利潤を追求するためにあり、教会は神の栄光を現わすためにあります。

企業は従業員を雇いその労働によって栄えますが、教会は教会員の奉仕によって主の栄光を現わします。企業は従業員に対して、ある程度の束縛を強いることができますが、教会は教会員に対して束縛や強制はできません。してはならないのです。教会は教会員の自主的な奉仕活動によって成り立っています。教会員が教会の交わりから離れることも、信仰を捨てることも全く自由です。教会には教会員を束縛したり、強制したりする権利や権限は全くありません。神の家族である教会員を繋いでいるものは信仰だけです。

Ⅲ.教会に求められる敬虔さ
教会から主を畏れる信仰と、それに伴う礼拝や奉仕や伝道などの働きを取り去ってしまうなら、それは、もはや神の御住まいではありません。それは、ジャッカルや野生の動物たちが住みつく廃墟です。それはサタンの巣窟です。
激しい試練の中にあっても、信者は主にとどまり、主のみつばさの陰に身を隠す敬虔な信仰がなければなりません。世俗化の流れの中に身を任せるなら、教会は神に対する畏怖の念を忘れ、その聖(きよ)さを失ってしまいます。

【 結 論 】
 教会はその聖さを世俗の合理性、利便性、優位性などと引き換えてはなりません。使徒パウロは、悪魔の攻撃から身を護る霊的武具を備えるように命じています(エペソ6:10-18)。
「あなたは霊的なクリスチャンですか?」