2015年9月19日(土)

「救いは神の恵みによる」

聖書箇所:マタイの福音書 20章1節~16節

Ⅰ.大きな恵み  
私は高校生の時、肉屋さんでアルバイトをしました。 お得意さんにバイクで配達に出たのに、誤って川の中に落ちてしまいました。

ご主人がすぐに駆けつけてくれました。 大したけがではありませんでしたが、迷惑をいっぱいかけてしまいました。 もうやめさせられると思いましたが、続けて雇ってくれました。 それ以後も、ご主人はとても親切にしてくれました。 何という恵みでしょうか。

Ⅱ.天の御国はぶどう園の主人のようなもの
天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
イスラエルでは10月頃に雨季がやってきます。 その前にぶどうを収穫してしまわなければならないので、猫の手も借りたいほどです。 日の出(朝の6時)と共に、ぶどう園の主人は労務者を雇うために出かけて行きました。 彼は労務者に 「ぶどう園に行きなさい。一日一デナリあげるから。」と約束して、人々をぶどう園に送りました。 ぶどう園の主人が朝の9時頃に市場に出かけると人々がいました。 「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。」(4節) 彼は市場にいた人々をぶどう園に送りました。 さらにぶどう園の主人は正午と午後3時にも市場に行きました。 そこにいた人々にも声をかけて、同じようにぶどう園に送りました。 夕方の5時頃に出かけて行くと、別の人たちが立っていました。 「どうして一日中仕事もしないで ここにいるのですか。」 すると彼らは答えました。 「だれも雇ってくれないのです。」 ぶどう園の主人は言いました。「ぶどう園に行きなさい。」

Ⅲ.すべての労務者に等しく賃金を支払う主人 
イスラエルでは日の出と共に仕事が始まり、日没(午後6時)と共に仕事が終わります。 日没になったので、ぶどう園の主人は、監督に賃金を支払うように命じました。 最後に来た者から順に、最初に来た者たちにまで賃金を支払いました。 最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思いましたが、彼らもやはりひとり一デナリずつでした。 そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて言いました。 「この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。」(12節)
しかし、主人はそのひとりに答えて言いました。 「友よ。 私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。」(13節)

【 結 論 】  
イエス・キリストはこのたとえをとおして、天の御国においては、先の者もあとの者もみな同じように平等であることを教えられました。 人生の若い時に信仰に入って従う者も、晩年に至って信仰を持つ者も、神の御前には平等であることをイエスさまは教えられました。

 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
 それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」
(エペソ2:8)