2013年10月6日(日)

「主を待ち望む」

聖書箇所:詩篇 130:1-8

Ⅰ.序論
ルターは、この130篇を 「最も素晴らしい詩篇」 として高く評価しています。
それは、作者が自らの罪を自覚し悔い改めているからです。 主が罪を赦してくださらなければ、私たちに救いはありません。 「主が罪の赦しを与え、贖ってくださる」 ことを信じて主を待ち望んでいる者の祈りです。

Ⅱ.「深い淵」からの叫び (1-2節)
「深い淵」 (1節) は 「深いところ」 であります。 自分の力では到底逃れられない苦境、絶望的な状態を 「深い淵」 という言葉で比ゆ的に表現しています。 罪を犯し、自力ではどうしようもない霊的状態に陥っています。 神さまに祈っても聞いてもらえないことほど苦しいことはありません(2節)。 彼自身の罪が主との間に立ちふさがって、どんなに祈っても届かない状態ではないでしょうか。

Ⅲ.「赦しを求めて、主を待ち望む」 (3-8節)
彼は自らの良心の痛みが除かれて、御前に立てるようになることを願っています。 作者は自分の中に罪があるのを認めています。 自分は神の御前では、不義なものであるという自覚ははっきりしています。この 「不義」 (3節)に神である主が目を留められるなら、「誰が御前に立ち得ましょう」 (3節) と祈っています。 神さまが罪を見張り保存するなら、どんな人も神のさばきに耐えることはできません。作者は「赦し」(4節) が神さまから来ることを認めています。 罪赦されないままでいるときの苦しみは、なんと大きいことでしょうか。

私はかつて自動車でオートバイと交通事故を起こしてしまいました。 ドライバーである青年が足の骨を折り、自殺未遂をするほどの大きな精神的苦痛を与えてしまいました。 到底赦されるものではありませんでした。  お見舞いのためにご自宅を訪問しましたが、受け入れてもらえませんでした。 怒りに満ちたご両親の態度を忘れることができません。 まして、神さまに罪を赦していただけないとしたら、どれほど苦しいことでしょうか。 神さまが真実に恐れられ、しかも尊ばれるのは、罪を罰する厳しさだけでなく、ご自身の痛みをもって罪を赦してくださる深い愛によるのではないでしょうか。
あなたには今も抱え込んでいる 「罪」 はありませんか。 罪を犯し続けていませんか。
神さまの 「赦し」 を受けられなくて、罪の重荷を背負っていらっしゃいませんか。
今、罪を告白して 「赦して」 いただきましょう。 5節、6節には 「主を待ち望む」 信仰が描かれ、7節、8節には、イスラエルに語りかける部分があります。

【 結 論 】 
「罪の赦し」 を受けてください。
「イスラエルよ。 主を待て。 主には恵みがあり、豊かな贖いがある。 主は、すべての不義からイスラエルを贖いだされる。」 (7節、8節)