KGK関西地区の冊子より転載
キリスト者学生会<KGKの精神>
KGKとは・・・ K(キリスト者) 私たちはキリスト者(使徒1:26)として G(学生) 学生が主体となって K(会) グループ(会)で関わることを表しています
KGKは、キリスト者学生の交わりで、学内で活動するグループです。
その目的は、学内伝道と、それを通じてキリスト者が成長することにあります。KGKは、「こんなグループも必要だ」ということで誰かが企画してできた組織ではありません。
戦後まもなく、早稲田大学では、教室不足のため日曜日に授業が実施されていました。 当時早大生であったO氏は「主の日」に授業をすることに反対する署名運動をしましたが 、日曜授業は続きました。そこで彼は、1947年4月から日曜に学内で礼拝を始めまし た。そして日曜授業が中止された後も、もう1人の学生と共に「キリスト者学生会」の名 で学内の友人のために祈祷会を続けました。
この運動が他大学に広まり、関西、東北、そして全国へと広がっていきました。
このKGK運動は同時に今私たちの置かれている学内の活動と重なって写らないでしょう か。
KGKは主によって始められ、導かれ、そして整えられてきました。<KGKの目的>
その中で確認されたことは、KGKのスピリットでした。それは、「三本柱」としてそのひとつ が欠けたとしても、KGKの存在意義が全く失われてしまうほど重要なものです。【1.学生の主体性】
私たちは、未信者の友に、一緒に机をならべて勉強したり、食事を共にしたり、サークル活動で 交わる中で、単に言葉による証のみならず、生活や存在を通して証をすることができます。 また、キリスト者の交わりの中で励まし合いながら、継続的交わりの伝道のわざがなされていき ます。主事や専門家によるのではなく、自分自身が先に救われたキリスト者学生として遣わさ れた者であることの自覚、使命感に立つことをKGKの大切な精神としています。【2.超教派】
私たちは、各々の教会の肢体の一つの器官に加えられ、それと同時に、この世に遣わされて います。ですから、キリスト者学生は教会の一員として、自分の学んでいる大学に遣わされてい ることになります。この事実から、KGKは福音宣教という目的で地域教会、教派を自覚し、さら に「協力」して働く「協教派」です。このような交わりを通して、主にある者が一つのからだを構成 していることを経験していくのです。【3.福音主義】
KGKは、その歩みの初めから「聖書は誤りなき神のことばである」と信じる立場を明確にし てきました。私たち一人一人のレベルでいうなら、私たちがはっきりとした救いの確信を持つこと であり、聖書が示す十字架による福音を本当に自分の物としていることが求められるでしょう。 そして、私たちの日々の歩みが聖書によって教えられ吟味されていくこと、すなわち福音のいの ちにつながった生活をすることを意味します。このためKGKは超教派の団体といっても、その 範囲はおのずと限定され、KGKの進行基準に同意した者からなる会員制をとっています。
(参考:「KGK信仰基準)
【1.学生による学内宣教】
主が私を大学の中におかれ、遣わされたと受けとめ、イエス・キリストの大宣教命令(「全世 界に出て行き、全ての造られた者に、福音を述べ伝えなさい。」マルコ16:15)に具体的に大 学という世界で応答し、滅びよく魂に対する熱愛をもってキリストを自分の神、救い主として信じ る信仰に学友を導きます。【2.グループによる伝道】
学内伝道という大任を果たすために、学内においてキリスト者の交わりに積極的に参加し、 祈り協力し合い、交わりを通して伝道を促進し、学内活動を効果的、かつ継続的な者にし ます。(「ふたりでも三人でも、私の名において集まる所には、私もその中にいるからです。」マタイ18:20)【3.教会の枝として】
KGKは、大学という場に遣わされた教会の枝としての役割を持っています。私たちは自らの 属している教会を愛し仕えるものとしてまず、教会生活を確立し、教会での奉仕を果たした上で、 学内活動に励むという姿勢を貫きます。【4.世界視野の中で ─学外における協力─】
神がおいて下さっている場所で、どこまでも重荷を負い、証をしていくべきですが、もし、その ことで自分以外の大学、地区、全国、そして全世界に全然関心を払わないとしたら片手落ちで す。主のご命令は、全世界に対ししてであります。(「そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全 土、および地の果てにまでわたしの証人となります。」使徒1:8)学外においても祈り協力し、さ らに広い視野をもつことによって、今、自分のおかれている場に対する責任を強めていきます。