「あなたへの礼拝メッセージ」       

               「救いの確信]
                       ローマ10910、マルコ52534

     
   クリスマスのおめでとうございます。神さまの祝福がみなさまに豊かにありますように‼

神は約束されました。「もしあなたの口 でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

約束というものは、約束する人の誠実さにかかっています。約束は守ることが条件です。

神のご性格について、神のことばは、「神は真実な方」であると証言しています。

 では、「救いの確信」を得た12年間も、長血を患っていた女性のいやしの出来事から、考えてみようと思います。(祈り)

 あなたはこの世で最も尊い書物「聖書」を今、手にされています。聖書全巻には一貫したテーマが流れています。それは、人間に対する限りない神の「真実の愛と約束」です。

聖書は「全ての人は罪人だ」と言います。
神はあなたに光、空気・水・命・健康など・・生きる為の必要のすべてを下さっているのに,あなたは神に感謝もせず、わがままに過ごされてきたのではないでしょうか。

その軌道をはずした歩みを罪と言います。

「罪の支払う報酬は死です。
しかし神のくださる賜物は主キリストイエスにある永遠のいのちです。」

また「死には永遠のさばきが伴います。」と聖書は私たちに警告しています。死で終わりでなく永遠のさばきがあるのです

。神の審きが確定した人間を救う、神の一方的な愛と恵みです。ここに神の愛を示されたのです。神は全ての人の「罪」を贖う為に、御子イエスが神の裁きを身代りに受けて十字架で命を捨てて下さいました。

そして三日目に復活され、罪を完全に赦して下さる神の救いを用意されました。その為、神が人に求めていらっしゃること、それは全ての人が救いすなわち、永遠のいのちに与る事です。

救われる為の唯一の条件は「信仰」です。決して行いによりません。聖書はあなたにこう語りかけます。

信仰がなくては、神に喜ばれる事はできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです

では、ここに登場する女性の信仰をみましょう。

◆真の名医をさがして。12年間も長血を患っているかわいそうな女性がいました。

長血とは, 慢性の子宮疾患のようです、当時出血を伴う病気は不浄とされ、人前に出ることを禁じられていました。律法を記したレビ記は次のように規定します

「生理期間中でないときに、何日も出血があるか、あるいはその期間を過ぎても出血が止まないならば、その期間中は汚れており・・・これらの物に触れた人はすべて汚れる」(レビ記15:25

 古代の人々は死者に触れたり、出血に触ることによって、病気が感染すると考えて、これらの人々を不浄として排斥していたのです。

普通の社会生活ができない彼女は,日陰の生活を強いられていました。
直したい。直りたい一心で、名医と聞けば出かけ、薬と治療代に時間を割きますが、多くの医者からひどいめに会わされ、とうとう持ち物すべて使い果たしました。

しかし病いは一向によくならず反って悪くなる一方です。明日の事、将来の事を考えると心細く途方に暮れていました

何もかもを失くし絶望していた時に「イエスのことを耳にした」。
耳にしたのはイエスさまの数々の奇跡でしょうか、教えでしょうか。やさしいおことばでしょうか。
女はイエスさまに一縷(いちる)の望みをかけました。彼女は正面からイエスさまに近づくことは出来ません。

しかし信仰は彼女を動かしました。「群衆の中に紛れ込み、後ろから、イエスの着物にさわった」のです。
「うしろから」そーっと。彼女の信仰のことばをお聞き下さい。
「せめて“お着物に触ることができれば、きっと直る”と考えていたからである。」

「この方の着物に触れれば癒して頂ける」この記述の中に、何とかして直りたい女性の強い気持ちとイエス様への期待がこもっています。

そして実際イエスに触れるや否や「
すると、すぐに、血の源が枯れて(乾いた)、ひどい痛みが直ったことを体に感じた。」

本当のところ、この時、彼女にはこうするしか方法がなかったのです。

彼女の信仰通りになりました。彼女は驚き、畏怖を覚えました。群衆の中でどうすればいいか分からない程のうれしさがこみあがってきました。大声で喜びたい、でもできない。

じっとこの喜びを一人でかみしめます。彼女は求めていた真の名医に会う事ができました。

 ◆真の名医を証言する。

 彼女がひどい痛みが消えたと感じた時、イエスさまも自分のうちから力が外に出て行った事に気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」

と、聞かれます。勿論、イエスさまには、着物にさわった者は傍にいる女とご存知です。

「女は自分の事だ」とすぐに分かりました。が、気後れし、立って私ですと言えません。

弟子達は「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも“だれがわたしにさわったのか”とおっしゃるのですか。」

こんなにたくさんの人がいるのですから・・。わかる筈がありませんよ。と、言わんばかりの言い方です。

イエスにより頼んだ女性の真剣な切なる気持ちなど弟子達には全く判りません。

イエスは、それをした人を知ろうとして見まわしておられた。」32v。彼女が告白しやすいように、いいえ、彼女の敬虔な信仰姿勢に皆が注目するよう環境づくりをされていたのです。

 「女は恐れおののき、自分の身に起こったことを知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。

長血が直った彼女は隠れている事が出来ず、イエスの前にひれ伏し、恐る恐る自分の身に起こった事をありのままを証言しました。

 静まり返ったその場所に、イエスの力を証する女の声が響き、そこにいた者全てがこの証言を聞きました。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
 彼女は真の名医を皆の前で証言しました。

真の名医のことば

イエスは彼女に「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」やさしい、やさしい、いたわりの言葉です。

この「直した」ということばは原文では,癒しを意味する語ではなく「救い」を意味する「ソーゾー(ギリシャ語)が使われて、ただ病気が直っただけではなく女の全人格的救いの意味が込められています。

 
あなたの信仰があなたを直したのです。いつも覚えておきましょう。信仰はあなたと神さまの関係です。あなたが神により頼むのです。イエスさまの言葉は、やさしい慰めに満ちた励ましの言葉ですね。これこそ真の名医の言葉です。

あなたの信仰があなたを直したのです」女性への言葉は今のあなたへのメッセージです。

彼女のイエスさまに対する信頼はますます深まった事でしょう。その場にいた皆も彼女の告白とこのことばを聞いてイエスさまの愛とあわれみとやさしい言葉に心打たれます。

神はあなたに、あなたの素直な信仰だけでいいようにすべてを備えて下さいました。

神の愛に対してのあなたの唯一の応答は「信仰」であり、決して良い行いではありません。神はあなたの信仰を何よりも喜ばれます。

信仰がなくては、神に喜ばれる事はできません。神に近づく者は、神がおられる事と、神を求める者には報いて下さる方である事とを信じなければならないのです」ヘブル116v。

「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、健やかでいなさい。」

「信仰」これ程大きな力のあるものはありません。そして信仰は神のみ心にかなう、喜ばれる行為であり神の祝福を得る道です。

 今日は12年間も、長血を患っていた女性がイエスさまの噂を聞いて会って・・お着物にさわる事ができれば,きっと直る”・・彼女の信仰姿勢のその純粋さに心打たれました。

女性の「心配」はイエスさまによって取り除かれました。
病が直った彼女にやさしい言葉をイエスさまはかけられました。
あなたも信仰によって。イエスさまのやさしいことばをお受けになって下さい。

聖歌602番「きのうもきょうもとわに」の3節をご紹介します。

「信仰の手をもて みころもに、 さわりし女を 立たしめし、いやしの力を たれにても、 イエスは 変わりなく 示したもう。よし世のすべては 変わるとも、 変わりなきイエスに 栄あれ 栄あれ。栄あれ 変わりなきイエスに 栄あれ。」

 この曲を歌う時、もう60年以上前。私の重荷をイエスさまの前に降ろし、救われたことが思い出され、胸が熱くなります。神の真実は今も変わりなく続いています。

神は永遠のいのちの約束を誠実に守り続けられます。あなたが罪を悔い改め、信仰によってイエスさまを自分の罪の贖い主として全生涯をゆだねる時、神は永遠のいのちをあなたに約束されています。

もしあなたの口 でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせて下さったと信じるならあなたは救われるからです。
皆さまの上に神の豊かな祝福がありますように(祈り)