KGKとは

KGKについて

KGKとは「キリスト者学生会(Kirisuto-sha Gakusei Kai)」の略称です。北海道、東北、関東、北陸、東海、関西、中四国、九州、沖縄と9地区で行われている全国規模の学生運動です。

その活動は、福音主義、超教派、学生主体という3つのKGKスピリットと言われるものを柱として、学生自身が成長し、全生活を通して、そして聖書の御言葉を通して、各学内で学友達にキリストの福音を伝えて行くことを目的とする学生運動です。

*統一教会、エホバの証人、モルモン教などとは異なるプロテスタントの福音派の学生運動です。

福音主義

KGKについて

福音主義とは、読んで字の通り「福音を第一とする考え方」のことです。では「福音」とは何でしょうか。「福音」は“喜ばしい良い知らせ”を意味します。そして、この良い知らせこそが、イエス・キリストの罪の赦し、救いなのです。聖書は、このイエス・キリストの救いについて書かれた神のことばです。ですから、福音主義とは、「聖書は誤りなき神のことばである」と信じる信仰、生き方であり、KGKが最も大切にしているスピリットでもあります。KGKは神がはじめてくださった運動ですから、神のことばに従うことをまず第一に考えるのです。

KGK運動は、この福音に生き、福音を伝えるためにあります。まずはひとりひとりが、借り物ではない、個人的な主との交わりをいただき、「神のことば」に生きるという姿勢をもつことが大切です。そして、日々の生活の中で、また大学で学ぶ学問の中で、神の視点から「聖書の世界観」に生きる必要があります。学問と信仰を切り離してはいけません。この世界は神によって造られたのです。聖書の世界観を再確認しながら、キリスト者として一貫した生き方をしていきましょう。また、聖書は私たちに、全存在、全人格における成長を教えています。私たちは、聖書にすべての答えを求めていく中で、伝道していく中で、信仰生活を確立し、成長し続けていくことが求められています。神との個人的な関係を見つめ直し、みことばから日々新たに教えられ、成長させられましょう。

学生主体

KGKについて

KGKは「学生主体」の運動です。「学生主体」と言っても、学生が何でもやっていいという、自己実現を意味するものではありません。また、活動において主事よりも学生が積極的になるという、主事との関係性を表すものでもありません。

「学生主体」とは、主なる神様の前に学生自らが進んで応答するという、神様との関係性を指すものです。主の召しに応答するのは他の誰でもない、学生であるあなた自身であるということです。また、主の召しに応答するために、どのような活動が必要か、何が可能か、どのような方法がよいか……。それを考え、実行に移す担い手は、学生であるあなたです。

伝道の主体、伝道の方法が学生自身である。それが「学生主体」です。

1. 「個人生活」を励まし合う

KGK運動は「個人生活」から始まります。KGK活動が、人からの強制や自分の義務感から出発するのではなく、主からの召しを受け取りそれに応答するという出発をするために、個人生活における「静思の時」を充実させることが大切です。毎日のみことばの学びと祈りを通して、主と交わり、主に礼拝をささげる「静思の時」を、ひとりひとりが守り、そこから祝福を受けることによって、グループ活動が豊かにされていきます。

2. 「学内宣教」を励まし合う

私たちが遣わされている学内も主の世界宣教の対象です。私たちは学生として、この主の宣教命令に「学校」という世界で応答していきます。それは、人の目を惹くような何か特別なことをするのではありません。私たちが「静思の時」で示されたことを、学内という場で、生き方として実践していくのです。学内において自然で継続的な交わりを通して、福音が伝えられてゆくことを目指します。KGK活動は、この学内活動が最も基本的で重要なものであり、地区活動はこの学内活動を励ますために用いられます。

3. 「グループ活動」を励まし合う

学内宣教はひとりでできるものではありません。ですから私たちは、学内でグループを作ることを勧め合います。伝道は本質的にひとりでするものではありません。ひとりの友人が救われるために、様々な賜物を持った多くのキリスト者が関わっているのが現実です。福音の種蒔き、伝道から、信仰告白に到るまで、救いのすべての過程に「共同体」として関わっていくことを、KGKは学内で実践していくのです。また、学内グループがあれば、この使命と重荷を後輩たちに継承していくことができます。学内に福音のともしびが輝き続けるために、グループの「縦」「横」の広がりが与えられるように祈りましょう。

超教派

KGKは「超教派」の運動である。

超教派とは、KGK活動が教派の違いを超えた交わりであるということ、つまり、教派の違う学生同士が協力していく活動であることをあらわします。

KGKには様々な教会から、学生が集まっており、そのメンバーはみな、地域教会に所属しています。キリスト者学生はそれぞれの教会から派遣され、祈られて、KGKという働きを協力して進めていくのです。

「自分の教会」を大切にする

KGKについて

先に述べたように、KGKは教会の働きの一部であり、協会に祈られて成り立っている運動です。ですから、キリスト者の信仰生活の土台はあくまで教会生活であること、KGKは地域教会の代用にはならないことに注意しましょう。学内グループは、同世代の集まりで、共通の話題で盛り上がることのできる、楽しいものです。しかし、そこには、地域教会のもつ年齢・職業などの多様性がありません。多様性のなかにあっても、信仰が1つであるがゆえに、一致してキリストのからだである教会を建て上げて行くことに身をもって取り組みましょう。

そして、自分の所属する教会を愛しましょう。それぞれの教会には、問題があるかもしれません。むしろ、問題を抱えていない教会はないでしょう。それは、キリストのからだである教会はまだ完成に向かって建設中だからです。神がキリストにあって教会を成長させてくださることを忘れないでください。だからこそ私たちは、日々福音に立ち返り、主に従う者へと成長していく必要があります。そして、キリストから注がれる愛を持って互いに赦し合い、愛し合い、結び合わされて、一致を保ちましょう。

「教派の違い」を大切にする

教派はなぜ存在するのでしょう?神様はお一人、真理は一つなのだから、教派が存在するのはおかしいのでは?と感じるかもしれません。しかし、私たちが信じている神様は、とても大きなお方です。この世界を造り、時間軸をも超越しています。私たちには想像もつかないほど大きいのです。神様を1つの大木に例えてみます。幹は1つですが、その先はたくさんの枝と葉に分かれています。同じように、神様はお1人ですが、教派の多様性、一人一人の生き方の多様性を用いて、神様はご自身の偉大さを表そうとしておられるのです。

このように、キリストのからだを建て上げる働きも、とても大きなものです。それぞれ違う長所を持った教派の協力なしには成し得ません。教派の多様性は、主の働きのために用いられてきたのです。ある教派はキリストのからだとしての教会の目の働き、他の教派は手の働きをしてきたと書いてある通りです(Ⅰコリント12章)。

学内グループにおいても、メンバーが教派の違いに目を向け、尊重し合うことが大切です。そのために、自分が所属している教会の教派の立場や由来について理解しましょう。そうすると、違う教派の人と集まったときに、お互いの立場の基本が一致していることが分かるでしょう。そして、違う部分も尊重しあい、互いの長所から学ぶ姿勢をもちましょう。キリストが模範を示して下さった、互いに仕え合う姿勢が超教派の基本なのです。

「信仰基準」を大切にする

それでは、どんな信仰を持っていてもいいのかというと、それは違います。KGKは、聖書は誤りのない神のことばであるという福音主義の立場を明確にしてきました。(「キリスト者学生会信仰基準」をご参照ください。)

KGKの中心的な目的は福音宣教にありますが、宣べ伝える福音の内容が一致していなければなりません。そのために、超教派でありつつ、この福音主義を曲げないという範囲が設けられているのです。私たちは、聖書を一致の基礎として、主にあって心を一つにし、協力し、キリストのからだを共に建て上げていくことに励みましょう。

派遣意識

KGKについて

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネの福音書15章16節)

このみ言葉のように、わたしたちが、今いる場所を選んだのではなく、神さまがわたしたちをこの学校に、この家庭に、この友達のもとに、この場所に遣わされたのです。世界中に神さまの救いを必要としている人がいます。だからこそ、神さまがその場所にクリスチャン一人一人を遣わし、わたしたちクリスチャンに救いたいと思っておられる大切な子どもたちを任せているのです。今、自分がいる場所が希望通りでも、希望通りではなくても、その場所でわたしたちを遣わされた神さまに信頼し、その現実を受け止め、その場所で神さまに従うことが、「派遣意識」に生きるということです。KGKとは、この「派遣意識」を確認し合い、励まし合う交わりです。

全生活を通してのあかし

KGKについて

KGKの3本柱に共通しているのは、生き方全体を通して証しをすることの大切さです。KGKには、特色ある伝道手段やマニュアルはありません。ただ、各自がキリスト者として福音にふさわしく生きること、その生活全体こそが伝道の中心なのです。KGKはそのような伝道のあり方を「全生活を通しての証し」と呼んできました。聖書そのものがそう勧めています。

私たちは、ポストモダン・相対主義の社会に住んでいます。ヒューマニズムや快楽主義などの価値観が多数を占める中で、堅く聖書の教えに従うキリスト者は間違いなく目立ちます。キリスト者が、聖書的世界観(例.恋愛観・労働観・歴史観)を学んで実行する時に、周囲の人々は「この人の持っているものは何だろう?」という問いを持つのです。神の前での責任を果たし、聖さを帯びたキリスト者に、人々は惹き付けられていくのです。「ただ一つ。キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(ピリピ1章27節)

参考:『学生の伝道2010』キリスト者学生会主事会