05年10月 2日
「イエス様についていく心得」
ルカの福音書 9章20〜27節
ベツサイダでの5千人の給食の後、イエスは父なる神に
祈る必要を覚えられた。ご自分が何者であり、何をなす
ためにこの地上へ来られたのかを伝えるべきときが来た
からだ。「(あなたこそ)神のキリスト(メシヤ)です。」との
ペテロの告白を受けて、イエスは受難の告知をした。
旧約の時代以来様々な表現でなされてきたメシヤ
(キリスト)像が今ここに焦点化されたのだ。
受難の告知は、イエスにとって血の汗が流れるほど
厳しいものであった。それでもイエスは、目の前の弟子
たち、また先ほどともにいた5千人の群集、私たち
すべての人間に目を注ぎ、ご自分が傷つき痛み、
十字架につけられることを選ばれた。そして言われた。
これからこの先、「わたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て」「自分の十字架を負・・・」ってくるようにと。
十字架につけられたイエスこそ、栄光のキリストの
姿に他ならないことを私たちは知っている。。