06年 6月11日
「赦しと御霊さま」
イザヤ書 43章22節〜44章3節
赦しは全く一方的な神からの恵みの宣言だ。私たちは
非難に対する備えや自己弁護をする準備には余念が
ないが、赦しを受ける備えだけはしていないものだ。
そして心のどこかで呟く。「そんなムシのいい話を信じる
ほど私は堕落してはいない。」 しかし神の目から見れば、
私たちは神からの非難と呪を受けるのに十分なほど堕落
している。私たちは赦しを受けるしかない存在なのだと
聖書は繰り返す。赦しは全く理屈に合わないものだ。
しかしそれは歴史上の事実として確かに、キリストの
十字架上ではっきり示された。神ご自身が、私たちの
そむきの罪を拭いさってくださるというのだ。その上、
それを信じるようにと、神は信じる恵みをも私たちに
与えてくださっているのだ。すなわちキリストを信じる
全ての者に御霊さまが与えられているのだ。
この御霊さまがいま私たち一人々々のうちにいます
キリストである。これこそ最高の奥義であると
新約聖書は断言する。