11年 8月
『朝の祈り』
詩篇5篇1〜3節
祈りは、「私の言うこと」であり、「私のうめき」であり、「私の叫びの声」です。
言葉にならない部分もありましょう。拙い言葉でしか言えないこともあるでしょう。
しかし、祈りは自分のことばでするものです。私たちは、救い主キリスト
によって罪を赦され、神さまの子どもとされているのです。ですから、私たちは、
いま、子どもが自分の親に対して 話しかけるように祈ることが出来るという
すばらしい恵みを頂いているのです。子どもは子どもなんですから、いつも
いつも、よい子 の状態でおれるわけがありません。子どもは、 よい子の状態で
おれないときでも、親に向かっては、ものを言うことができるのです。それが
出来る親子関係が形成されていないと、子 どもは「よい子を演じ続けなければ
ならない」 という大変な重圧に苦しめられます。そして、 遅かれ早かれ、
精神的な破綻を来たすか、反抗し始めることになるものです。
聖書は、よい子と優等生の記録集ではありま せん。詩篇に収められている
150篇の歌の中の多くも、このような人たち、赦された罪人 たちの祈り、呻き、
叫びの声、嘆きを記録して、現代の私たちに伝えているのです。
(S.G)
前回の500字メッセージ
次回の500字メッセージ
牧師による礼拝500字メッセージTOPに戻る
泉キリスト教会TOPに戻る