キリストから流れる信仰~ピリピ2:1-5

イエス・キリストはほかのだれも現わすことの出来ないほど大きな愛を私たちに現わしてくださいました。時に反面教師というケースもありますが、基本的に人は愛を受けたようにほかの人にも流し出すことが出来るものです。その中で人間の限界があったり、自分が分かるような表現でない場合もあるでしょう。イエス・キリストの愛は私たちの罪の身代わりとしての十字架の愛、そして復活してくださったことを通して私たちに永遠の希望を与える愛です。 このことによって罪から来る報酬は死という枠の中から私たちは出ることが出来るようになりました。それは死から命へ、闇から光へ、滅びから救いへというおどろくべき転換です。そのような大きな恵みをイエス様は私たちに与えてくださいました。それを受けるかどうかは私たちの決断です。そしてその愛を受け、主の愛の慰めを受けたら私たちはどのように進んでいくのでしょうか?ピリピ2章にはそこから御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら~一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志をひとつにし~と続いていきます。この心を合わせることや志をひとつにすることは本当に大変なことです。それをするための鍵がイエス様から励ましを受け、愛の慰めを受けること、そして聖霊様との交わりの中で導かれていくということが分かります。そして主が私たちを愛してくださったように私たちが互いに愛し合う時に多くのことが可能となっていくのです。間違い探しの生き方から一致を探す生き方に変えられていくのです。イエス・キリストから流れる愛、恵み、喜びをしっかりと受け止め、体験し、日々創り変えられていきましょう。 [Read more...]

理解と確信の違い~IIコリント1:12-16

 ラグビーワールドカップで様々な感動が日本に沸き上がりました。歴史上初めての決勝トーナメントにおいて世界の厚みを体験しましたが予選リーグにおいては全勝で上位の国から大金星を挙げて世界でも話題となりました。 アイルランド戦やスコットランド戦に臨む時に選手達は一週間ほど「絶対勝てる」と自分達に言い聞かせていたそうです。その期間というのは世界であらゆるデータ予測、主観的な予想が飛び交っていました。自分達の過去のデータから来る勝てる可能性という理解よりも選手達は確信に立とうとしていました。 その確信は気後れしたりすることなく最善の動き、判断をすることにつながった思います。 聖書を見る時に前人未踏の試練や問題の中で信仰の確信にあるいは立ち、また従順に神様のことばに従うことによって前進していったケースは数多くあります。 ここには神様に対する理解ということよりも理解出来なくても信頼して従う姿勢、また誠実な関係、理解し合おうとする情熱などがあります。特に新約聖書においてはパウロの宣教旅行の範囲を見ても分かるように様々な地域、文化の中に建てられた教会の中で働きが進められています。ここには主にある一致、天国の価値観に立とうとする視点の転換がありました。理解よりも信仰の確信がうえをいっていました。心を柔らかくして神様の時、方法で歩めるように備えていきましょう。 [Read more...]

主のことばに従う~ヨハネ14:22-27

多くの情報や教えが世界には多くあります。それ自体が正しいか正しくないか、信頼するか信頼しないかという判断の中にどこがその情報を発信しているか誰が語っているかということで私たちの判断は左右されることが多いですがそれ以上に自分が聞きたい情報かどうかということで判断してしまうこともあります。耳に痛いことは避けて優しいことばに流れるという傾向です。耳に痛いことがすべて悪意から出ているわけでないことを知っていても心に余裕がなくて受け入れることが出来ないこともあるのではないでしょうか?  イエス様が語られたこと、そしてイエス様と共に歩み直接教えられた弟子達のことばには重みがあります。その中には私たちに対して戒めとしてのことばも多く含まれます。「」神は愛です。」ということばと主の裁き、主の戒めということが語られています。解放と忍耐が共に語られています。私たちはその中でみことばのバランス感覚をしっかり養う必要があります。  主は私たちに自ら進んで従う信仰を持ってほしいと願っておられます。そしてそのために聖霊様を私たちに送ってくださいました。助けは与えられています。しかし決断するのは私たちです。 主の助けを期待し、主の御心に従っていける者となりましょう。 [Read more...]