週報より~信仰で築く教会~

教会とは建物を指すのではなくそこに集っているクリスチャン達の集まりを指します。それが例え二人であってもそこが教会であり、そこに神様の臨在があります。集まるためやクリスチャンコミュニティの働きのために場所は不可欠ですからそこでどういった形でかの建物がありそこが目に見える教会となるわけです。この建物を維持するだけなら信仰はなくても世襲制で継続していってもいいかも知れません。しかし神様の教会とは建物ではなく人々の集まりですからその人数によって建物は変化していきます。むしろ変化していくべきです。ヤドカリが成長に従って貝殻を変えていくように教会もそうありたいと思います。ここで意識の問題が出てきます。入り切らなくなる前に次のことを考えて備えていくか現状で満足してしまうかです。建物を建て替えるということは経済的にも大変なことですから集まる時間帯をずらして集会の回数を増やすとか家庭集会を充実させていくとか外のホールを使うとか方法はいろいろあります。これは建物以上に各個人がどのような信仰の姿勢を持っているか。また方向性を持っているかが重要です。真理の柱であり土台であると書かれているそのみことば通りの教会として成熟し成長していけるかということです。ひとりひとりの中に信仰が豊かに芽生え実を結んでいけているか。神様との生きた関係を持てているか。ふと気がつくと信仰が形骸化してしまいがちになる私たちですが常に新鮮な信仰を保ちながら教会とは生きているものであり、教会を生かすのは私たちひとりひとりの生き生きとした信仰とそこから来るアクションにあることを忘れずに信仰生活を送っていきましょう。 [Read more...]

週報より~信仰の高みへ~

達人と呼ばれる人と一般的レベルの人の違いはなんでしょうか?知識や経験はひとつのことを長期間やっていれば身につきます。それでも同じだけの時間をかけたとしても長期的に成長に開きが出てくる結果を左右する要素。素質ももちろん大切でしょう。しかしその素質をいかにして生かすかというと達人と呼ばれるレベルの人は基本がしっかりと安定していて高いレベルにあります。しっかりとした基礎の上に高いレベルの技術が積み重なってこそ達人と言われるレベルになることが出来ます。しかし基本とは多くの場合退屈で地味で目立たないものです。しかし建造物でもその建物の規模を決めるのは基礎であるように無理をして基礎以上のものを建てようとすると一時的には大丈夫でも安定して長期間にわたり存在することは困難でしょう。聖書には砂の上に家を建てた人と岩の上に家を建てた人のたとえ話があります。嵐や洪水が来たときに砂の上では耐えることは出来ませんが岩の上にしっかりと建てられた家は耐えることが出来ます。この岩こそキリストであり主にあって自分の人生を建て上げる時にこそ大きな働きやビジョンを持ちそれを全うしていくことが出来る。またその課程にある多くの困難に耐えることが出来ることを教えています。私たちの人生を神様はどのように導き、また期待しておられるでしょうか?それは私たちが期待し、想像していることよりも大きなことを任せたいと神様は期待しておられると思います。今の時代は本当に大変です。だからこそ真剣に神様のために働く人々を神様は必要としておられます。そして育てておられます。信仰の高みを目指し、そして遜り、バランスのとれたクリスチャンとして整えられていきましょう! [Read more...]

週報より~責任に伴う落とし穴~

社会でも出世するに従って横柄になったり横暴になる人をしばしば見ることがあります。これはその人が本来もっている未熟さから高慢という名の落とし穴に落ちている状態です。自分が人より優れていると優越感に浸ることも自信をつけるという意味でたまには良いかも知れませんがそういった感情は麻薬のようなもので人間関係での細やかな感性を麻痺させてしまいます。自分が得た立場以上にその責任を自分の力では果たせないと自覚し、支えてくれる人々に感謝しつつ神様を仰ぎ見るリーダーは遜り堅実に歩むことが出来ます。しかし未熟なまま立場を得てしまうことは旧約聖書のサウロが通ったような道を歩んでしまうケースも多いでしょう。彼は自分よりなにか秀でたものが許せないばかりか味方であるダビデを敵と見なして命をつけねらいました。もちろんダビデの対応が完全であったとは言えませんがサウロは王であり神様に従うことをもっと知っていれば歴史は変わっていたことでしょう。ダビデはその点悔い改めることを知っていましたがそれでも失敗したこともあります。聖書を見るとモーセやダビデ、ヤコブやアブラハムなど大きな働きをした人物ほど大きな試練を何年も時には何十年も通過してそこで砕かれ遜り、神様を信頼することを体験的に学んだ上での働きがあることを見いだすことが出来ます。今用いられていると思うならばそれを感謝し遜りましょう。また今なにも出来ていないと不満や焦り諦めを覚えているならば神様を見上げて状況に左右されないバランスのとれた品性を身につけましょう。賜物はすぐに身につきますが優れた品性はそう簡単には身につかないからです。また優れたクリスチャン品性は何物にも勝る宝だからです。人のつけた肩書きよりも神様にしっかりと目を留めて歩みましょう。 [Read more...]