受ける恵みにふさわしく~週報より~

新しい革袋に新しい葡萄酒を入れる例え話はイエス様の有名な例え話のひとつです。 しかしその前後の文脈を見ていくとバプテスマのヨハネの弟子達が自分達とパリサイ人は断食するのにどうしてあなたの弟子は断食しないのですか?という質問があり、 それに対する回答が有名な継ぎをする布きれと葡萄酒と革袋の話となります。 花婿が取り去られたら断食すると前置きもされていますがこれはイエス様の十字架、 また復活後の昇天の事を指しておられることは想像しやすいです。 断食をするタイミングについて言われているように思いますがその前に遡るとイエス様が収税人であったマタイを弟子として招かれ、そして罪人達と食事をしている時にパリサイ人達がなぜ罪人と食事をするのですかと質問し、見事な回答をされた後に続きます。 断食は有益なものです。 しかしその受ける恵みに相応しく柔らかい心で備える必要があることをイエス様は教えておられるのです。 儀式的であったり形式的であったり、義務感であったり、 また競争意識から断食をしてもそれは自己満足や高ぶりつながる結果になることもあります。 断食して神様の前に出ることもとても大切です。 でもそれ以上に大切なのは私たちが常に柔軟な心で神様の前にいるということです。 それぞれに与えられている神様の恵み、またチャレンジがあると思います。 それを周りと比べるのではなく、柔らかい心で受け止めて恵みを味わい知るものになりましょう! [Read more...]

世界は広い。そして世界には神様にある家族がたくさんいる

GWに神戸であったホームカミングギャザリングに行ってきました。 なにそれ?って感じで一見なにをするかわかりにくい集会名。 でも31カ国から総勢5000名を超える参加者が集う国際的なイベント。というとちょっと魅力的に響きます。 このギャザリング=集まりはキリストにある神様の家族が一緒に集う旅路というのが大きなテーマとしてあり、また聖霊様に従ってすべてのことが進んでいくというのが大きな特徴です。 コアリーダーミーティングにも参加させて頂きましたが本当に壁がなく、すごく近い距離感で神様が望んでおられることを汲み取りながら進んでいきます。家族会にプログラムがないようにこの集会にもプログラムはありません。今回決まっていたのはドイツと日本が神様の愛による同盟を結ぶということくらい。 でも4日を通して大きなうねりのような流れがあり、 すべて参加して見た私の感想は本当に麗しく素晴らしい集いというものです。 多くの方と知り合うことも出来、また多くのことを学ぶことが出来、そしてなによりも多くのことに気がつかされ、分かっていても心がついていかなかったような自分の限界をひょいっと超えたような感じがします。 周りを見ていても特にミニストリーの時間はなくても賛美の中、祈りの中でそれぞれが取り扱われて本当に回復やいやしが与えられ、強められ、会を重ねるごとに目が輝いていくのが手にとるように分かるほどでした。 いくら素晴らしいメッセージを聞いたとしてもすぐに変われる人はそう多くはありません。でもこの集会には家族の暖かさの中で整えられていく麗しい流れがありました。少なくとも私はそう感じました。 今年はいろんな視点から特別な年としての位置づけがありますがキリスト教界でも同じような思いを与えられている方が多く、このギャザリングの働きも2015年は多くの集会が今年持たれます。私も海外のギャザリングに扉が開かれれば是非参加してきたいと願っています。 [Read more...]

とっておきは最後にくる~週報より~

自分の希望やほしい物のイメージがはっきりしている人はどちらかというと少数派でどちらかというと今あるものに対してこれは違う。これも違う。ここが~だったらというダメだしをしつつ自分の本当の希望に近づいていく人が多いのではないでしょうか? 周りがいいと言うからとりあえずやって見ていいような気になるところから始まり、慣れてくるとここをこうするともっと良くなるというようにです。 つまり向上心を持ってなにかと関わる時にそこには洗練されたり、またより効率的になったり、より素晴らしくなる変化が生じます。 イエス様は旧約の律法を2つに要約するだけではなく、実際に救いの道を明確に開いて下さいました。 旧約の中で罪を犯さずに歩んだと胸を張って言える人物はいないと言っても過言ではありません。 おそらく人格的に本当に素晴らしい人物は多くいました。 それでも神様のきよさの基準、律法の基準には足りなかったのです。 そこで自分で自分の救いや義を完成出来ないことを痛感し、弱さを知り、ユダヤの民の飢え乾きがピークになっていた頃についに多くの預言者によって預言されていた救い主イエス・キリストの誕生~十字架復活と救いの道が開かれました。 そのすばらしさ、価値を知るのはより自分を知り、砕かれた人です。 自分の努力で得られないからこそ価値があります。 救いに努力は必要ありません。ただ信じて受け取ればいいのです。 タダというと街頭で配布されているチラシやティッシュのように感じるかも知れません。 しかし物の価値は価格ではなくそのものがどんな物かによります。 花粉症で困っていたらティッシュを喜んで受け取るでしょう。 キリストの救い、永遠の命は自分の存在意義や死んでどうなるか、 自分の内面にある罪、またそこからの救いや解放を求める心を持つ時に価値が分かるのです。 状況によらず信じることが出来ることは恵みです。 今キリストにある救いと命の価値を知り、その中に生きましょう! [Read more...]