昼間らしい生き方~ローマ13:11-14

光と闇という表現はどこか善と悪というニュアンスが漂います。白か黒かという言い方で日本では善悪や敵か味方かという意味合いで使ったりもします。聖書を見るときに光と闇という明確な区分での善悪という意味合いで使うのではなく、今が闇であれば光の差す朝が近いという意味合いで使われることもあります。それは終末の時代に愛は冷え、災害や疫病、飢饉、戦争などがあるけどもその後にイエス・キリストの再臨という希望があることが明確に書かれているからです。聖書は最後にはハッピーエンドなのです。日本には終わりよければ全てよしということわざがありますが終わりだけでなく動機やプロセスも今の時代は重要視する価値観が広がっていると思います。聖書には人はうわべを見るが神様は心を見ること、つまり私たちが同じことをしているとしてもどのような思いでしてるのかというところを見られる。つまり結果以上に私たちの本質に神様はフォーカスされるということが書かれています。大きな結果を出すためには大きな力や資本がものをいいますが動機がいかに純粋であったり、相手のことを思いやっているのかという部分は結果に正比例で表れないことも多いと思います。しかし私たちの心を保ち、守ることは外からの力で左右されることなく私たち自身が出来ることです。結果だけを見て一喜一憂するのではなく、自分と神様との関係の中で今のベストを尽くすことが出来る正しい、昼間らしい生き方をしていきましょう! [Read more...]

良識に勝る愛~ローマ13:8-10

日本人だけに限らないかも知れませんが貸し借りの感覚で常に対等に保ちたいという真理が人には強く働くことがあります。自分が特に覚えがないのに多くの贈り物を受ける時に警戒したりすることもあるでしょう。また誰に対しても大きな借りがないというのが精神的な支えになったりすることもあるかも知れません。しかし私たちの人生には時として思いがけない自体が起り、借り貸し0なんて言っていられない状況になることがあります。ダビデやモーセ、サムソン、サムエル、エリヤなど推挙の暇がないほどです。そしてイエス様の人生に起った出来事は多くの弟子達や当時の人々にとって衝撃だったはずです。私たちが返すあてもなく助けを受ける時に見えるものがあります。それは貸し借りを超えた愛がそこにあることを発見した時により豊かな人生観を持つことが出来るというものです。ローマ13章には誰に対しても、何の貸し借りがあってはいけないことを教えると同時に、互いに愛し合うことについては別とあります。そして隣人を自分のように愛することへと繋がっていきます。そこには打算や虚栄心はありません。ただ純粋な愛とみことばによる保証があるのです。無償の愛を見て売名行為とか偽善とか言う方がおられますがそういったことを言う心の根底にはなにがあるでしょうか?妬みがあるかも知れません。また愛を受けたことがないから分からないということもあるかも知れません。もちろん自分の行いをひけらかす必要はありません。良い行いは良い心の連鎖を産むのでいずれ明らかになることも多いからです。その時に人の評価を気にするのではなく、みことばに忠実であることが出来るよう備えていきましょう。 [Read more...]

善を持って悪に打ち勝つ~ローマ12:16-21

ローマ12章はその1章の中に多くの重要なことが凝縮されています。人間関係において難しい事柄について実にわかりやすく書かれています。「復讐は神のすることである」と聞いたことがある方もおられるかも知れませんがそのことばのエッセンスの元はローマ12章後半に書かれていることです。しかしそこだけ見るととても怖く思いますがその前後を見ると明確に愛が書かれています。敵が飢えているなら食べさせ、飲ませなさいとあります。戦国時代において武田信玄と上杉謙信の関係を表すことばとして「敵に塩を送る」ということばがありますが単なる敵対関係ではなく、お互いをリスペクトする姿に多くの方が感銘を受ける出来事です。私たちはそのように相手を尊敬しあう関係を本来望んでいるのです。聖書には私たちが互いに平和を保つことについて記していると同時に一方的に我慢を強いられるのではなく、その報いは神様がして下さるという慰めがあり、またお互いに足りないものであることを知ることで一方的に相手を責める自己中心から守られることを教えています。神様の前に立つ時に完全な人はひとりもいません。しかしそれぞれに正義があり、通したい筋があるわけです。そのような問題に対して聖書は愛を土台とすることで繋がっていくことを教えています。日々の生活の中でこのみことばを土台とし、みことばのうちに留まる者となりましょう。 [Read more...]