週報より

私たちの生活にはいつも説明というものが伴います。家電製品買うと説明書があり、コンビニでお弁当を買っても材料表示や賞味期限の説明が常にあります。道路を走っていても標識があります。ここに伝える責任を果たしている実像があります。最近では食品業界が表示偽装などで揺れていますが、命に別状ないものから薬品などの命に直接関わる重要な説明まで私たちの生活にこの説明ということはとても大切なことだということが分かります。標識がなければ一方通行ということを知らないわけですからもし警察に呼び止められても本当に標識が何もなければ何も減点や罰金は発生しないでしょう。しかし標識があれば見てなかった知らなかったはは通用しません。聖書は余すことなく天国について、罪について、赦しや救いについて記されています。「イエス様を信じたら救われるのだったら死ぬ直前まで好きなように生きて最後の最後に信じよう」という考えになる方がたまにおられますが、これは全然理解していないのと同じです。誰かに告白されて、まだ遊びたいから結婚したい気分になったらその時よろしくというのと同じ事です。それは失礼なことであり、誠意や愛がないものです。きっと別れたくなったらなんでもない理由で別れる生き方でしょう。聖書はそのような歩みをきつく戒めています。キリスト教の結婚式での誓約で富めるときも貧しい時も健やかなる時も病める時も変わらず愛しますということばがありますが、都合の良い時も都合の悪い時もということです。私たちはこのクリスマスの時期を神様に対して真実な心で接していきたいですね。

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