週報より

私たちは仕事をしたりする上でより効果的で効率的な方法を探して生活しています。しかし神様は一時的に私たちにはどう見ても効率的に見えない方法で御業を現されることがあります。今日の聖書箇所でエルサレムの初代教会において重要な役割をになっていたピリポは迫害のため地方に落ち延びていきますがそこで宣教し、また一人のエチオピアの宦官に聖書を教え、福音を伝えるように導かれました。その結果きっとエチオピアの国においても福音が広まっていく多くの働きを残したことでしょう。そのような素晴らしい結果を出すために私たちに求められているものはなんでしょうか?それは信頼です。神様は私たちに必ず良いとこをして下さるという信頼が必要です。ピリポはせっかく軌道にのっていたエルサレム教会から迫害によって離れなければいけなくなりましたが各地で身を隠すよりも自分に与えられている神様の恵みによって語りました。普通なら名前も変えたり、目立たないようにするのが当然に思えますが、彼はそうでなく神様に信頼し、まだ福音を知らない、聞いたことがない人々に神様の愛を伝えたのです。そんな彼を神様は大いに用いられ、エルサレムにいては出来ない働きを委ねられたのでしょう。彼は数値的に自分が直接1人を導くことが時に100人導くことよりも大切なことを知っていたのです。だからこそ神様に信頼し、行けと言われるところに行き、そして語ることが出来ました。自分の功績よりも神様のことばを優先したのです。私たちも自分が何かをしたという達成感よりも神様がしなさいと言われることを自分の目に仮に小さく見えることや意味が分からないことでも素直に行っていく信頼感のある信仰を持って従っていきたいですね。

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