週報より~継承される信仰~

日本は世襲制が強い文化です。会社でもありますし、特に宗教がからんでくると特に強くなります。確かに環境的に親の背中を見て育ち、尊敬があればなおさら同じ道に歩んでいく可能性は高くなるのは理解できます。本人が進んで選ぶのであれば問題ありません。しかし「そうしなければならない」という押しつけやそういった空気で縛ることをしてしまうといつかそれは形骸化しただけのものであり、命のある働きとはほど遠いものとなるでしょう。会社であれば特にその存続すら危うくなる可能性も否めないでしょう。しかしそういった中にあっても、個人個人の決断で継承されている伝統や働きには深みがあり、歴史を感じることが出来るでしょう。それは積み重ねられた経験の継承であり、知識の継承であり、あらゆる意味での財産であるといえると思います。財産とは本来その人の能力とは関係なく、その人の環境で備えられているものです。その人にはその財産を受ける権利があります。そして放棄する権利もあります。そして受けた場合にそれをそのままにしたり、生かしたり、無くしたりするのは受けた人の能力や資質が大きく影響します。それだけ継承するということは大変なことです。キリスト教は世襲制的な考え方よりもどちらかというと個人主義的な側面が強いと思います。その中にあっても信仰が様々な形で継承されていき、歴史の中にしっかりと足跡を残しています。血縁ではなくても信仰の家族、兄弟として信仰を深め合い、恵みを分かち合えることは本当に素晴らしいことです。それによって自分自身が体験していなくても多くの経験を知識として蓄えることが出来、人間としての深みを持つことが出来るからです。主にあって信仰を深め合い、高め合い、そして継承していける歩みをしていきたいですね。

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