霊的な礼拝~週報より~

多くの宗教には儀式というものがあります。

季節の節目や記念日やまた各個人の人生の節目において様々な儀式があります。

儀式自体は本来それが始まったときにははじまったなりの理由や動機があります。

ただ儀式的というとかなり意味合いが変わってきます。

表面上同じような儀式や儀式ではない物事でもです。

キリスト教会では毎週礼拝を持ちますがこれを儀式というか礼拝というかは各個人で認識が違うかも知れません。

私は礼拝を決して儀式的なものにはしたくない考えです。

聖書には礼拝とは自分自身を生きた供え物として神様に献げ、

心の一新によって自分を変えていく場であり神様との交わりの場であると教えています。

それは儀式ではなく生きたコミュニケーションであるからです。

もし自分の親との会話が儀式的になっているとすればそれはとても悲しいことです。

それと同じように神様と生きた交わりを保つことがクリスチャンにとって大切なことです。

それは霊的な礼拝を保つことであり、

儀式的形式的にならないように信仰の鮮度を保つことがとても大切になります。

ではどうすればいつも新鮮な状態を保てるのでしょうか?

聖書はこの世を調子を合わせず、むしろ神様の御心は何か、

何が神様に受け入れられることをかをわきまえ知るようにと教えています。

情報は溢れ価値観の変化もめまぐるしく、流行は移り変わります。

現状を知ることは大切ですがそれに流されるのではなく、

決して変わることがない聖書に立ち返る時に自分自身を保つことが出来ます。

それは時代遅れなことではなく、医学、科学、考古学など多くの分野において聖書に記されていることが逆に正しいと証明されている時代です。

新しい年、真の礼拝者として立っていきましょう!

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