実を結ぶために~週報より~
信仰生活の中でひとりひとりに与えられるテーマがあり、
また信仰の成熟や方向性によって受け止め方の違う聖書箇所もあると思います。
しかしそれらを合わせていく中で愚かな議論になってしまわないように注意する必要があります。
建設的な議論とは宣教に結びついていくものであったり、成熟へと進んでいくものです。
ロマンのような方向や雲をつかむような議論を避ける必要があります。
また聖書の原則から逸脱してしまわないようにする必要もあります。
それは私たちが信仰の実を実らせるためであり、また宣教の実を残していくためです。
いくら神学的知識を身につけても人を見下すような姿勢では信仰者として十分とは言えません。
イエス様はその状態を見て悲しまれるでしょう。
またいくら伝えていっても最終的に人々が救われていくことが大切です。
すべてにおいて効率を重視するという考えもまた間違っていると思います。
そこで私たちは信仰のバランス感覚をしっかりと身につけて
知識においても霊性においても品性においても成熟していく必要があります。
不毛な議論に時間をとられ消耗してしまうことは私たちが陥ってはいけない落とし穴です。
与えられている賜物、時間、経済など主の御手に委ねてまっすぐと歩んでいきましょう!