主にある静寂の中で

クリスマスが近づき、街にはイルミネーションが輝き、至る所でクリスマスソングが流れる季節になりました。一見派手なお祭り気分になりがちですが聖書をじっくりと読むとそこにはひっそりとそして厳粛で奇跡の連続とその中で様々な思いで過ごしている簡単に数えることの出来る人数の中で静かに、しかし重要な決断をそれぞれがしていく過程が書かれています。その中でもイエス・キリストの母となる乙女マリヤはこれからのヨセフとの歩みの根底がひっくり返るような出来事を通ります。しかしマリヤは聖霊によって自分が身籠もるという常識では受け止めることが出来ないことを信仰によって受け止めました。天使がマリヤの元を訪れてそのことを伝えた時に最初は戸惑いますがその会話の終わりにはあなたのおことば通りこの身になりますようにと実に落ち着いて受け止める姿があります。実際この短時間の間に決断し、そして主にある短時間であっても長く感じるような時の中でこれだけの決断をしたのです。そこに自然体で神様と共にいる信仰の姿勢を見出します。より信仰的にとか、より成熟を目指してとか、またより聖くと私たちは信仰をステップアップしていく事柄のように捉えやすいです。勿論そういう側面もありますが信仰の本質は神様と共にいるということです。自分の置かれている状況が良くても悪くても、まさに富める時も貧しい時も、健やかなる時も病める時もと結婚式の誓約にある通りです。それは夫婦の間だけの問題ではありません。神様と自分との関係をそのような自然体でリラックスした関係を保つことはとても大切です。なにをしたかしないか以上にどれだけ神様に信頼して委ねているか、その中にこそ神様の使命を全うする道があるのです。

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