神に帰する心

自分の能力や力、またそれに伴う報酬や賞賛、このようなものを受けるために人の何倍も努力して名誉、地位、権力、財力を手に入れたとしてもそれはいつしか廃れるものであったりそれ故に通る葛藤、また追われる立場になって感じるプレッシャーなど手に入れたと思っても手放しで喜べることばかりでもありません。主の祈りの最後に国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなりとあります。これはすべての栄光を神様に帰していく心です。黙示録には天において長老たちが自分の冠を天の御座の前に置いてひれ伏し礼拝する姿が記されています。一度受けた栄誉を手放したり、またその立場を他者によって追われることは辛く、また受け入れることが困難なことです。しかし、すべての栄誉も、また時として困難な状況をも神様は私たちに与えてくださり、そのことによって私たちを計られます。地上にあることだけでなく天に宝を積む生き方を私たちがしていく時にこの世の富、権力、名声などに惑わされることなくむしろそれらのものを神様のための道具として用いることができるようになります。お金に支配されるのではなくお金を支配し用いる。権力で横暴になるのではなく、その権力を正しく用いて多くの人々を守る覆いとなる。大きな力には大きな責任が伴います。用いる方向性によって祝福にも呪いにもなります。常に神様に栄光を帰し続ける遜った心をもって祝福のうちを歩んでいきましょう!

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