主が目を開かれる時~使徒26:14-18

近くにあるのに見つからないことや目の前にあっても見えていないことを経験したことはないでしょうか?集中力や注意力、また年齢などという理由があるかも知れませんが気をつけて探していても見つからないということも体験したことがある方も多いと思います。聖書の中にもそのような箇所は記されています。創世記にはいのちがかかったような場面で井戸のそばにいたのに気がついていなかったことがハガルとイシュマエル親子のこと書かれています。神様がハガルの目を開かれたので井戸を見つけいのちをつなぐことが出来た箇所です。私たちは気をつけていても大切なことを忘れていたり、見えていないケースがあるということを神様の前に謙遜に受け止めておく必要があります。「自分は大丈夫」という思いを持っていると余計に見えなくなってしまうことがあるからです。神の全能と己の無能を適切に理解し、神様に期待して歩む時に不可能が可能に、絶望から希望を見させてくださるのが神様の御業です。主が私たちの霊的な目も、また肉体としての目も開いてくださり、今まで以上に神様の視点でも物事を見ていくことが出来るように祈り整えられていきましょう。

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