信仰の刈り取り~ガラテヤ6:1-10

収穫の秋がやってきました。私たちも人生においていろんな種を撒きます。それは自分のために撒いたり、また家族のために撒いたり、そして神様のために撒いたりすることもあるでしょう。
 聖書には自分の肉のために撒くと滅びを刈り取り御霊のために撒くと御霊から永遠のいのちを刈り取るとあります。これは大局的なことが書かれていますが自己中心的な思いからすることと、信仰によってすることとの違いです。自分を愛するように隣人を愛するようにとイエス様も教えられていますから、すべて自分に属することが悪いという意味ではなく、我欲のために、また自己中心的な動機でするという意味での肉です。そして罪から来る報酬は死であるともありますが自分=罪=滅びという図式が見えてきますがここも注意深くバランス良く理解する必要があります。そしてそのうえで聖霊様からの助けによって神様に従っていくということです。
 この道のりにはチャレンジも伴うでしょう。しかしそこに神様の守りと成長を見いだすことが出来ます。ポイントは聖霊によって進めているかどうかということです。表面上の事柄だけでは私たちは間違った判断をしてしまうこともあります。そうならないために祈りつつ、先走った裁きをしないようにしながら歩むことが大切です。聖書に記されていることは実に幅が広く多岐に及びます。その中で私たちは優れた品性を求め、優れたバランス感覚を養い、主に従順することを身につけていけるよう励まし合っていきましょう。

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