主の恵みの器となる~マタイ9:16-17
聖書を見るときに神様の奇蹟の数々とそれによって導かれてきた歴史を見ることが出来ます。そしてその中に神様の奇蹟の中に見る大切なテーマを見ることが出来ます。
そのひとつは、神様がなさることは常に新しいことをなさるということです。前例に倣うのではなく、その時に与えられる神様からのチャレンジともとれる方法を示され、それに従った信仰者が結果的に奇蹟を体験しています。主の恵みを流し出していくことは時としてそのような信仰のチャレンジを通らされることがあるということを覚えておく必要があります。
なぜそのような前例にないかたちで神様は奇蹟を起こされるでしょうか。それは私たちの経験からくるノウハウで実現できたとすればそれは人間の知恵と力の結果ともとれるでしょう。しかし、神様によらなければあり得ないことが起こるからこそ奇蹟であり、主の栄光になるのです。
そして神様が明らかになしてくださったと実感するからこそ私たちは高ぶりという大きな落とし穴から守られます。
主の恵みを受け止め、流し出す器となれるよう主の前に常に新鮮な信仰を保っていきましょう。