大切なピース~コロサイ1:21-24

 パズルのピーズを組み合わせていく中でどれかなくなってもいいというピースはないように私たちの人生で体験する多くのことも私たち個人にとって、また私たちが集まる時に大切なものとなります。そして以外な事柄がマスターピースとなることがあります。

 パウロはコロサイ人への手紙の中で「あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています」と語ります。普通苦しみを喜ぶということは感覚的にあまりない事だと思います。その理由としてパウロは「キリストのからだのためにキリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。」と結論づけています。前の箇所を読むとここでパウロが語っている相手はかつて神から離れていたことが分かります。パウロは心を痛め、彼らのために祈り、とりなしていたことでしょう。それはイエス・キリストが痛みと死を持って私たちのために十字架で贖いをなしてくださったのですがそのことを受け入れることが出来ない状態だった私たちのために心砕きとりなしてくださっているような産みの苦しみのようなものです。産みの苦しみはその痛みだけ見ると本当に大変なものです。しかし、無事に赤ちゃんが産まれた時、溢れる喜びが勝ります。また痛みを知っている人は人の痛みを理解することがより出来る愛の深い人に成熟することも出来ます。心を砕き、主のまえに謙り、とりなし祈る者とされていきましょう。主は破れ口を塞ぐマスターピースとなるひとりひとりを必要としておられます。

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