神に愛される者~Iヨハネ4:10-12

神様の愛を私たちがどのように受けているのかを知ろうとする時にそこには十字架の贖いがあります。神様は私たちを愛し、御子イエス・キリストをも惜しまれませんでした。神様を象徴する性質のひとつに愛がありますが、愛とは単独では成り立ちません。そこに父、御子、御霊の三位一体の神としての現れがあります。父が子を犠牲にするというのは自分が犠牲になるよりも大変な犠牲です。神様はそれほどまでに私たちに大きな愛を表してくださいました。そんな神様の愛にどのように私たちが応えていくか。その愛は私たちがしがみつこうとする姿勢ではなく赤ちゃんが親を信頼しきって委ねるように神様を信頼し、委ねる姿勢がとても大切です。そこにいやしと解放が現わされるからです。そして、なぜこんなに愛されるのかという思いに対して神様が私たちを選び、愛してくださっていることをはっきりと知っていく必要があります。日本人の性質のひとつに遠慮してしまうところがあるからです。自分はそんな恵みを受けるにふさわしくないという具合にまっすぐに神様の愛に向き合ったり、受け止めたりすることが困難な時もあるかも知れません。しかし神様は事実として愛を現わしてくださいました。神様は私たちひとりひとりと個人的な関係を持ちたいと願っておられます。まずその神様の思いを知り、それを信頼し、受け止めていきましょう。そしてその愛を持って互いに愛し合い、仕え合う者とされていきましょう。 [Read more...]

信仰の力と用い方~IIコリント10:4-6

IIコリント人への手紙10章でパウロは私たちの戦いの武器について教えています。それは神の御前で要塞をも破るほどに力があるものです。と記しています。それは祈りであったり、クリスチャンが一致していくことであったり、いろんな見方が出来ます。そしてその用い方において高ぶりや不従順を取り除いていくことがとても大切であることを教えています。見える形や方法以上にその心が大切であるということです。 私たちはつい「自分達こそ」というような思いを持つことがあります。信仰の確信に立つということは素晴らしいことなのですがこの思いと高ぶりや批判は非常に近い位置にあり、ふとしたことで苦い思いになってしまうことを知っておく必要があります。愛はすべてを覆い、すべてを結ぶ帯です。神様への愛を土台として、その愛を持って私たちが繋がっていこうとする時にそこには配慮や努力が必要になってきます。なぜなら私たちはそれだけ弱い存在だからです。 私たちが心を守り、相手を尊重し、ひとつとなっていこうとする時に聖霊の助けなしには本当の深い繋がりに至るのは難しいです。だからこそ助け主である聖霊様に依り頼む姿勢が求められます。そして聖霊様の助けを体験し、みことばが立体的に体験的になっていく時に私たちは紙面上のみことばから生きた神のことばとしてのみことばを理解するようになっていきます。私たちがそのように信仰を働かせひとつになっていく時に神様は圧倒的な臨在を持って臨んでくださり、超自然的な御業を成してくださいます。主に期待し、ますます謙り、主に従順し、ひとつとなっていきましょう! [Read more...]

心の位置と生き方~ルカ11:27-28

 人生の中で感銘を受けたり、憧れや尊敬の思いを持ったことをいろんなかたちでそれぞれ体験していると思います。尊敬できる人が身近にいるということは本当に素晴らしいことです。しかしそれ以上に大切なことは自分がどのようにそのことによって変れたかということです。ルカ11章にイエス様が人々の心の動きを察して教えておられる時にその教えておられる内容に感銘は受けていますがイエス様の母親は幸いだという方向へその心が動きます。イエス様はその反応に対して幸いなのは神のことばを聞いてそれを守る人たちですと正しい反応を教えられました。会ったことや聞いたこと自体で感動出来るのは素晴らしいことですがそれはファンの反応です。初代教会はイエス様のファンではなく弟子達によって建て上げられました。弟子は師のようになろうとする者であると同時に自ら師に従う決心をした人のことです。そして師は弟子に対して責任を持ち指導していくものです。神様のことばを聞いて「ありがたい」という位置にとどまるのではなく、聞いたことに対して自分を変えていく、また整えようとする心を私たちは持つ必要があります。そこに聖霊の助けがあるからです。私たちの生き方が弟子として整えられていく時に弟子として歩む確信と喜び、恵みに満たされていきます。それは初代教会の弟子達に見ることが出来るものです。現代に生かされ、遣わされている者として主のことばを聞き、従う者とされていきましょう。 [Read more...]