奇蹟を遂行する

奇蹟を行ってくださる主ご自身が私たちに同じように奇蹟を行うことについて語って下さっています。そして聖書の中には賜物として奇蹟を行う者と書かれている箇所が何カ所もあり、旧約から新約に至る壮大な神様の御業とクリスチャン達の働きの中でこの奇蹟はふつうにあることとして、また必要なものとして認識されています。現代においてもこのような信仰が必要です。ガラテヤ3章5節にあるように奇蹟を行った方は、あなた方が律法を行ったからそうなさったのか、それとも信仰を持って聞いたからですかと私たちに問いかけています。私たちが律法を行うには律法を知る必要があり、さらにそれを行うには高いレベルでの自制など多くの犠牲が伴うでしょう。しかし奇蹟を解き放たれたイエス様に見るその土台は律法を行うこと以上に主の前に留まり、聞き、従う。つまりイエス様が語られたことを信じ、行う信仰がなによりも必要だということです。状況的に常識的な判断の枠組み中にのみいる時には奇蹟は起こりません。なぜなら奇蹟を必要としていないからです。しかし聖霊に満たされ、奇蹟が必要な領域に祈りと共に踏み出していく時に主が奇蹟を遂行させてくださいます。主の奇蹟を聞くだけではなく、奇蹟を見る者、また体験していく者と変えられていきましょう! [Read more...]

主が建てられる町~詩編127:1

私たちは人生においていろんなものを組み上げていきます。子どもの頃工作を組み立てたりすることから作る楽しさ、完成した時の喜びを感じたり、またどれだけイメージ通りに作ることが出来るか、だれも考えたことがないものを作ってみたいとか、どれだけ忠実に再現出来るとか、いろんな視点で物だけでなく、私たちは人生を構築しています。

信仰と恵み

旧約聖書と新約聖書の違いはなんでしょうか?歴史的に簡単に理解できることはイエス・キリスト以前と以後の違いがあります。そしてもう少しその違いを見ていくと旧約は律法により罪が明らかにされていくという方向性があります。