金沢キリスト福音教会

2022/3/13 安息日の主

「安息日の主]  (ルカの福音書6:1-5)

「ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられた時、・・弟子たちは穂を摘んで、手でもみながら食べていた。すると、パリサイ人が・・なぜ、あなた方は安息日にしてはならないことをするのですか。イエスは彼らに答えられた。・・ダビデが何をしたか、・・読んだことがないのですか。「人の子は安息日の主です。」

★安息日は六日間の労働に対する休息、神様を礼拝し、感謝を捧げる日として定められました。しかし、ユダヤ教は戒律として仕事を厳密に定めて、神の恵みや愛を捨てて、神の定めを曲げたのです。弟子たちは鎌を用いて麦の穂を刈り取ったのでは有りません。麦畑の道路に近い所で、手で摘み取り、もみほぐして口に入れただけでした。空腹の補いに思わず手を出した弟子たちの行動をイエス様は咎めることなく、旧約聖書のダビデと従者たちが、祭司だけに食することを許された捧げもののパンを例にとって容認されました。キリストには弟子たちの行為を愛によって受け入れ、赦す権限がありました。

★別の安息日には右手のなえた人が会堂にいるのを見られました。イエス様はパリサイ人に尋ねました。「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、悪を行うことですか。命を救うことですか、それとも滅ぼすことですか。」 主はその人に「立って、真ん中に出なさい。」彼が起き上がり、そこに立った時、主は「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとうりにすると、手は元どおりになった。 (ルカ6:6-10)

★主は聖書の律法が人々の負いきれない重荷ではなく、人を赦し、病の人を癒し、自由にする愛と恵に満ちた定めであることを教えて下さったのです。 安息=安らかに、休ませるの意味。キリストこそ罪から救い、永遠の命に導いてくださる唯一の安息日の主であることを感謝しましょう。