神の国の義
聖書 マタイの福音書5章17-20節
「 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。
廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。・・・
まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者や
パリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。」
◎律法学者、パリサイ人の義に勝るものでなければ天の御国に入れない。
1)殺してはならない。腹を立てる者、ばか者と言う者(マタイ5:21,22)
2)姦淫してはならない。情欲を抱いて女を見る者は既に姦淫した者
3)不貞以外の離婚は罪
4)いつわりの誓は罪、一切誓ってはいけない。
キリストは天の御国に入る条件として「律法学者やパリサイ人にまさる義」でなければと条件を付けられました。その上で第6戒「殺してはならない」を例と上げられました。殺人行為を犯した実行犯だけがこの罪に問われるのでしょうか?キリストは兄弟に向かって「腹を立てる者、ばか者」と言うだけでも神は「燃えるゲヘナに投げ込まれます。」
★神は現れた犯罪ではなく心の動機を罪とされている(ローマ3:10-20)
もし、罪を犯さないように口を閉じ、目をえぐり出し、手を切り落とすなら罪は消えるでしょうか。決して消えません。罪は心に宿るものですから解決になりません。
パウロは「私は、自分でしたいと思う善をしないで、かえってしたくない悪を行っています。・・私は本当にみじめな人間です。誰がこの死の体から、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:19-25)
◎神の国の義は神の恵みによる以外には受けることが出来ません。
パリサイ人に勝る義はキリストの血による贖いを信じる信仰以外にはありません。
これは律法を成就する道です。(ローマ3:21-31)
「 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
・・ 人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。・・ それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
かえって、律法を確立することになるのです。
◎恵みの福音は誰も誇ることが出来ません。かえってへりくだるのです。(エペソ2:1-10)
★キリスト者は赦された者、愛された者として生きる(マタイ18:32-35)
天の御国は 王様と家来の清算のようです。
1万タラントの負債のある僕が連れて来られた。彼は返済が出来なかった。
王様は返済のために自分も、妻子も、持ち物も全部売って返済するように命じた。
しかし、僕は猶予を求めた。 王様はかわいそうに思って彼を赦し、負債を免除した。
10,000タラント 1タラントは6,000デナリ 1デナリは1日分の日当 この計算では
1年は365日ですが安息日その他の休日を考えて1年の労働日数を300日とします。
10,000×6,000÷300=200,000 20万年分の給料を 免除されたことになります。
彼は王様の恵み溢れる免除を感謝して帰って行った。
王様は神様、僕は私たち罪人、キリストの贖いは(赦しと救い)神の義を完成します。
途中彼に100デナリ約3か月分の給料を貸していた男に出会った。彼は首を絞めて返済を
求め払え無かったので王の牢屋に入れた。友人たちはこれを悲しみ王様に訴えた。王様も怒り、
免除を取り消し、彼も牢屋に閉じ込めた。
「救われた私たちは赦されたように赦し、愛されたように愛し合って生きる。」
七度を七〇倍まで赦し、常に喜び、絶えず祈り、全てのことを感謝!(Ⅰテサロニケ5:15-24)
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