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洗礼の恵み

「洗礼の恵み」

創世記9:8-17, 詩編25:1-10, 第一ペトロ3:18-22, マルコ1:9-15

・ペトロは、「洗礼の恵み」が前もって「ノアの箱舟」の出来事に表わされたと語ります。さらに、「洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです」と述べています。ここで語られる「神さまに願い求めるべき正しい良心」とは、どのようなものでしょうか? 詩編25編で、ダビデは、神さまの憐れみと慈しみを証します。「主は恵み深く正しくいまし、罪人に道を示してくださいます」。神さまの御前に、罪人である己れの姿を見つめ、ただただ主にのみ望みをおく魂があります。

・神さまは私たちの名前を呼び出してくださいました。私たちがあずかった「洗礼」とはいかなるものでしょうか? 三位一体の神さまの御名による「洗礼の恵み」にあずかった時、その水によって、私たちは溺れ死んだのです。主イエス・キリストと共に葬られ、その死にあずかりました。ひとたび死んだ者は罪から解放されています。もはや罪に死ぬことがない者としてくださったのです。主イエス・キリストは「肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされ」ました。そしてキリストに結ばれて、私たちはキリストの命の内に生かされているのです。こんなほんとうに言い尽くせないような恵みにあずかっているのです。ですから、ただただ感謝の思いのうちに、この四旬節のときを共に過ごさせていただきましょう。