「主イエスの栄光②」

投稿日:

聖書 へブル人への手紙1章1~3節

(序)先週は、「主イエスの栄光」ということで、「万物の相続者」、「世界の創造者」、「神の栄光の輝き」、「神の本質の完全な現れ(刻印)」であってくださる主イエス様の栄光について見ました。本日は、その続きとして、①「みことばにより万物を保っておられる方」②「罪のきよめを成し遂げられた方」③「神の右の御座に着かれた方」について、お話するように導かれています。ですから、一言でゆうなら、先週は、神のご本質としての「主イエスの栄光」というものをお話したわけですが、本日は、その大いなるみ業を通しての「主イエスの栄光」についてお話するように導かれています。

一、みことばにより万物を保っておられる方

先週も、コロサイ人への手紙16~17節にある「万物は御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています」とのみことばを紹介しましたが、まさに、主イエスは、万物の創造者であり、そのみことばによってこの世界を創造されたのです。「光あれ」と言われると光があった如く、神のみことばは、力あるみことばです。みことばによって万物は創造されました。そして、みことばによって万物は保たれているのです。言い換えるなら、主イエスは、みことばと摂理の御手をもって、世界と私たち一人ひとりを支え守り、導いておられるのです。みことばによって万物を保っておられる方は、私たち一人ひとりをも、みことばをもって守り導いていて下さるのです。

二、罪のきよめを成し遂げられた方

主イエスの贖いによる罪のきよめという比類なき御業を成し遂げられたというへブル人の手紙本来の主題に言及しています。そして、このことが、この手紙が進むほどにさらに詳しく書き記されて行くのです。特に7章、8章、9章、10章はそのことを様々な点から書いています。7章24~25節では、永遠に存在されるキリストは、変わることのない祭司としての務めを持っておられるので、主イエスご自身によって神に近づく者を完全に救うことの出来る方として紹介されています。また、悪も汚れもなく、天より高くされた大祭司キリストが、ただ一度ご自身をささげられたことにより、私たちを罪からきよめる贖いが完成していることを告げています。

三、神の右の御座に着かれた方

「神の右の御座」というのは、場所的な意味合いで言っているのではなく、主イエスの優れて高い地位とか、その権威を言い現す表現です。エペソ人への手紙4章10節「すべての者を満たすためにもろもろの天よりも高くあげられた方」とか、ピリピ人への手紙2章9節「すべての名にまさる名」と言われているのと同じことを述べています。すなわち、このことは、キリストの贖いがいかに完全なものであるかを、そいて、その権威を示しているのです。8章1節にも、「天におられる大能者の御座の右に着座された方」として紹介され、また、8章6節、9章15節には「さらにすぐれた契約の仲介者」として紹介されています。10章12節にも、「神の右の座に着き」とあり、14節に、「キリストは聖なる者とされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです」と完全な救いを証ししています。

最後に一つのことをお話して終わります。

インウードという先生は、「真の安息」という説教集の中で、主の中に安息する幸があると言われます。すなわち、主の臨在を親しく現実に意識することによって、さらに深い安息が私たちの魂の中に入ってくると言われるのです。(臨在の約束)出エジプト33:14 、イザヤ45:2,52:12、申命記32:11,33:27主は、共に、前後、左右、上下、ぐるり八方を取り囲んで下さるのです。

ある年の11月、アイルランドの南の方で集会をしておられたそうです。アイルランドの11月というと、荒れる月ですが、その夜は特にひどい嵐であったそうです。あくる朝、朝食のために階下におりて見ると、風は吹き荒れており、雨はドシャ降りで、木の枝はあちらにたわみ、こちらに折れ、葉はちぎられて宙に飛び舞うというありさまで、まさに「嵐」であったそうです。しかし、ふと部屋の中を見て気がつくと、これはまた何という穏やかさでしょう。テーブルの上に食事の準備も整って、ストーブは火が赤々と燃えています。外と内とは何という相違でしょう。戸外は荒れ狂う暴風なのに室内は平和そのものです。なぜでしょうか。それはいうまでもなく、嵐と私たちの間にこの家があるからです。この家が大丈夫である限り、どんなに嵐が激しく吹き荒れても、私たちはこの家の中にあって安全です。とその時、心の中に細きみ声がありました。

「幼子よ。ここにあなたの学ぶべきことがあります。わたしはあなたを嵐のない世界に連れていくことを約束しません。また、あなたに嵐が吹き寄せないのでもありません。あなたにもやはり、嵐は吹くでしょう。しかし、その時には、嵐とあなたとの間にわたしが入ります。あなたはわたしにあって平安でです。」

「その後間もなく主はこのことを実現してくださいました」とインウード先生は言われます。「第1次世界大戦の時、ある朝、イギリス陸軍からの一通の電報は、私の家庭に一大旋風を巻き起こしました。かねて従軍中の長男が戦死したという知らせでした。家内はいすに泣き伏しています。二人の妹は、床の上に倒れて泣いています。私は震える手で電報を持ったまま立ち尽くしていましたが、一瞬にして主は私たちと嵐の間にお立ち下さいました。何とも言えない平安が私たちに与えられたのです」と語っておられます。(チャールス・インウード「真の平安」34~35頁)

ああ。皆さん、私たちが最暗黒の中におかれても、「みことばによって万物を保ち、罪のきよめを成し遂げ、神の右の御座に着かれた方」は、常に私と嵐の間に立ち、私のうちに何者によっても乱されることのない平安をもたらせて下さるのです。

 

(結論)私たちの主イエス様は、「万物の相続者」、「世界の創造者」、「神の栄光の輝き」、「神の本質の完全な現れ(刻印)」、「みことばによって万物を保っておられる方」「罪のきよめを成し遂げられた方」「神の右の御座に着かれた方」であってくださいます。私たちは、このような主イエス様を、私の救い主として頂いており、このお方が常に共にいて、安息を与えて下さるのです。何という恵みでしょう。