「祝福の言葉⑥」

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聖書 申命記33:26~29

(序)本日をもって、申命記をひとまず終えたいと思います。本日の箇所は、モーセの祝福の言葉における結論部分です。

一、天を駆けられる神

26節を見ますと、驚くべきことが記してあります。「神はあなたを助けるために天に乗り、威光のうちに雲に乗られる」と言うのです。新共同訳は、「主はあなたを助けるために天を駆け、力に満ちて雲に乗られる」と訳しています。すなわち、主は、御自身の民を救うために、稲妻のように天を駆けて、御自身の力と栄光を現わして下さるのです。 エシュルンとは、イスラエルの愛称であり、「正しい者」を意味する名前です。十二部族について見て行く時、決して完全な者正しい者とは言えないような有様です。しかし、主は、彼らを「正しい者よ」と呼ばれるのです。まさに主は、その信仰のゆえに、義と認めてくださるのです。「聖徒」と呼んでくださるのです。そして、3節にあるように、愛して、聖別して、御手のうちに守って下さるのです。

二、永遠の腕をもって支えられる神

とこしえの神であり、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主は、その民が、いつでも逃れることの出来る最も安全な避け所です。ですから、詩篇46篇1節において、詩人は、「神はわれらの避け所、また力、苦しむとき、そこにある助け」と歌っています。そして、どの様に私たちが、弱さを覚える時も、絶えず下には永遠の腕をもって支え続けて下さっています。主ご自身が共に進み、私たちを見放さず見捨てないと言われ、「強く雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない」と励ましてくださるのです(申命記31章6節)。 そして、完全な勝利を与えて下さるのです。

三、平安と祝福を与えられる神

28~29節をご覧ください。主のみもとには、安全があり、豊かな祝福があります。まさに、主に救われた者は、幸せな者としていただけるのです。私たちは、主に救われた民であり、主は、私たちの助けの盾であり、勝利の剣です。どうか、この主から目を離すことなく、心から信頼し、御頼りして参りましょう。そして、高きところを踏み進む者とさせていただきましょう。

ある冬の日のこと、一人の方から電話がありました。3人の子どもを育てているお母さんで、約40分の道のりを軽乗用車に乗って保育園に勤めておられた方が、交通事故で入院しているという電話でした。早速にお見舞いすると、次のようなことを話さされました。お家から勤め先まで、大きな峠を越えて行かなければなりません。特に雪が積もっている日には、運転するのに緊張する峠です。私もその峠で、雪道をモースピードで下って来る車をよけて、側溝に落ちたことがあるような危険な峠です。お話を伺うと、その朝はすごく雪が積もっていたそうです。いつものように車で峠を越えて、下りにかかった時です。対向車のトラックがスリップして、その方の車にぶつかって来たそうです。あっという間に7~8メートルはある崖の下の田んぼに車ごと転落し思わず、「主よ」と叫ぶと、オウム返しに、み言葉が心に与えられ、大怪我をしたものの命は助かったそうです。「もし相手の車が運転席の所に当たっていたり、すぐ前にあった交通標識のポールに当たっていたら、また、車の落ちた田んぼに深い雪が積もつていなかったら、私はどうなっていたかわかりません。でも、感謝なことに助けられました」と証ししてくださいました。「主よ」と叫んで、与えられたみ言葉は、「下には永遠の腕あり」(申命記33章27節)でした。主は、今も、私たちが、叫び求める時、即座にその御腕を伸ばしてくださるのです。「下には永遠の腕あり」です。

 

(結論)私たちを、守り、支え、勝利を与えて下さる主の強き御腕を覚え、主を信頼して従いましょう。