あなたの心臓にまで

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礼拝説教  「あなたの心臓にまで」  2019年2月24日

聖書 エレミヤ4章121

(序)本日は衝撃的な題をつけてしまいました。18節の「もう、あなたの心臓にまで達している」と19節の「私は痛み苦しむ。私の心臓の壁よ」いうみことばから題を付けました。

一、急激に襲う裁きと災い

3章において、主なる神様は、繰り返し「背信の子らよ。帰れ」と招いておられ、4章においても、「もし帰るなら、わたしのところへ帰って来い」と招き、「もし、あなたが忌むべき物を…除くなら、真実と公義と正義によって『主は生きておられる』と誓うなら…耕地を開拓せよ。いばらの中に種をまくな」(1、3節)と、悔い改めて、その心と生活を変えるようにと命じておられます。しかし、イスラエルの人々も、ユダの人々も、主のみ声に従いませんでした。そこで、主なる神様は、裁きと災いを下されると警告しておられます。そして、それは、「熱風」(11節)「激しい風」(12節)「つむじ風」(13節)のように、ものすごいスピードで押し寄せるというのです。「熱風」(11節)とは、アラビヤの砂漠から吹くシロッコと呼ばれる東風で、摂氏100度を超えるような熱風で動物も植物もみな焼き尽くされると言われます。さらに、「激しい風」(12節)「つむじ風」(13節)のように、北から軍隊が襲って来て、エルサレムを囲むというのです。もうそのような災いが、心臓にまで、すなわち存在の深い中心部分にまで急激に襲って来るというのです。

二、エレミヤの痛み

その様な急激で根本的な裁きと災い、破壊と滅びが近づいていることを知って、預言者エレミヤは、「私は痛み苦しむ」と叫び声を上げるのです。19節、「はらわた」(内臓)は、へブル人にとって感情の座と考えられていました。「痛み苦しむ」と訳された言葉(ハーマー)は、「うめく」(関根訳)「ねじれる」(新英訳)「もだえる」(新共同訳)「(心(む)胸(ね))とどろく」(文語訳)と訳されています。これは、腸捻転か腸閉そくのような痛みを示しています。あまりの苦しみ、あまりのストレスのために、胃腸がねじれよじれる有様です。すなわち、断腸の思いということです。 『神の痛みの神学』という論文を発表して世界的に有名になった神学者北森嘉蔵(きたもり かぞう)氏は、この「痛み苦しむ」と訳された言葉(ハーマー)が用いられているエレミヤ書31章20節から説き起こして、『神の痛みの神学』という論文を書いたのです。「私の心は高鳴り」(新改訳)の所は、「わたしの心臓は激しく鼓動する」(口語訳)「心臓は激しく動悸を打つ」(新英訳)と訳されています。すなわち、外敵襲来と国土の侵略、町の破壊、兵士の雄たけび、ひらめく旗印が、エレミヤを圧迫し、彼の心臓は、激しく動悸を打ち、血圧は異常に上昇し、心臓の壁はブルーン・ブルーンと唸り声をあげ、全身が疼き、身もだえし、思わず「我がはらわたよ。我がはらわたよ」と呻き叫ぶのです。

三、神の痛み

神学者北森嘉蔵氏が、エレミヤ書31章20節の文語訳の「わがはらわた彼のために痛む」というみことばから『神の痛みの神学』という論文を発表して世界的に有名になったとお話しましたが、エレミヤ書31章20節をご覧ください。新改訳では「それゆえ、わたしのはらわたは、彼のためにわななき」とあります。神様が、迷い歩く神の民のために、痛みわなかかれるのです。罪に対しては怒り、災いをもたらし、罰しないではおかれない義なる神、しかし同時に、民を憐み、民に代わって痛みを負う者を求め、自ら最も深く苦しみ痛まれる人格的な神、それがイスラエルの神なのです。そして、この神が、ついには、世の罪を負い、世人の罪の身代わりとして、十字架において苦しむために御子イエス・キリストを遣わされたのです。この神の痛みをエレミヤは、自らの痛みとして受け取り、神の痛みと呻きを、ブルーン・ブルーンと唸り声をあげるハーマーの一語に込めて預言したのです。そして、このヘブル語ハーマーは、痛みと共に、愛とか憐みをも示す言葉です。「それは単なる語学上の秘義ではなく、恩寵の事実の秘義である」と北森嘉蔵氏が述べるごとくです。

十字架におけるキリストの『あわれみと痛み』。十字架の縦の柱は、神の義、神の怒りを表わしています。しかし、それを受け止める横木は、神の愛であると言われますように、十字架の上に、『神の義と愛』が表わされています。ここに、神のあわれみ、神の痛みが存在するのです。イエス様が、どうする事も出来ない私たちの罪を、包み込んで下さったのが十字架ではないでしょうか。ある方が「神の痛みとは、錐を風呂敷で包むようなものだ。包もうとすればするほど痛む」と言われました。

新聖歌230番 『十字架のもとぞ』

十字架のもとぞ いとやすけき    神の義と愛の  あえるところ

荒しふくときの いわおのかげ    荒野のなかなる わが隠れ家

最後にローマ人への手紙9章1~3節をご覧ください。ここに、パウロの同胞に対する痛みがあります。

(結論)この朝、もう一度、エレミヤの心臓にまで届く深い痛みの思いを通して、主なる神の私たちに対する憐みのゆえの、深い恩寵の事実としての神の痛み、すなわちそのクライマックスとしての十字架の上での御苦しみと贖いの愛に目を留め、私たちの心臓の深みまでその恵みを受け止め、感謝し、また人々に証ししましょう。