幼子のために祈る

投稿日:

礼拝説教 「幼子のために祈る」 

―信仰を次世代へ1年目―

聖書 哀歌2章19節

(序)本日は、この年、私たちの教会に与えられました標語と聖句よりお話いたします。 元旦礼拝でもお話いたしましたが、次世代への宣教ということは、今、私たちが最も取り組まなければならない課題です。

一、現代、幼子の置かれた状況

現代の子どもたちが置かれた状況というものは、大変厳しいものがあります。子どもの虐待がしばしばテレビや新聞のニュースで報道されています。どうして両親は、せっかく生まれて来た自分の子どもを、しかも「ごめんなさい。ちゃんとしますから赦してください」という子どもに対して、なぜ執拗に虐待するのだろうかと理解に苦しむようなことが起こっています。昨年結婚しました3男聡介の伴侶は、現在児童相談所に勤務しています。一度、子どもの虐待に関する通報があると、夜遅くても、警察官や同僚と共に出かけて行って、状況を調べ、必要に応じて対応策を講じるそうです。また、一般的に見ても、今の教育は、個性や特性が生かせる教育ではなく、知識偏重の傾向があるのではないでしょうか。昨日の朝のラジオで、養老孟子さんが、今の子どもは、自由に遊びまわる楽しさを奪われているのではないか。小さな時から、社会の枠組みの中に押し込められて、個性や特性が生かせないような状況にあるが、それで子どもは幸せなのだろうか、というようなことを論じておられました。

日本の国は、明治以来、西洋文化を貪欲に吸収して来ましたが、「和魂洋才」と言って、西洋の知識や技術は大いに取り入れましたが、西洋文明の核を形成している精神的なもの、特にキリスト教信仰は拒絶して来ました。ですから、日本人は、この確立が出来ていないと言われます。今こそ、アイデンティティの問題、個の確立の問題が問われてくるでしょう。

 

二、幼子に福音を伝える重要性

さて、一昨年(2017年)の9月に神戸でもたれた日本伝道会議で配布された資料に一つに、「日本人クリスチャンの回心の実態と教会学校の現状」というアンケート調査を基にした子どもプロジェクトチームの研究報告書がありました。その報告書を読んで、改めて教会学校と信仰継承の大切さを痛感させられました。その報告によると、たとえ回心の年齢が成人期であっても、幼児期、児童期、中高生期に福音を聞いて、何らかの種まきがなされたケースが過半数を超えるそうです。その報告書は、結論として、「親がクリスチャンであっても、なくても若い時期に福音を聞くことが将来の回心に対して強い影響を与えていることが結論出来る」と記しています。そして、①各年齢や環境によって回心に導かれる動機やきっかけが大きく異なっているので、各年代に細やかで適切な伝道・牧会的配慮の必要であること。②親が子どもたちに与える影響力は決定的に大きいので、親に対する教育と教会による家庭教育の必要のあること。③教会学校は教会全体の伝道の最先端であるという視点の3つを指摘していました。幼い時に、福音に接することの大切さを思わされます。

 

三、幼子のために祈る 

今紹介しました報告書によると、この大切な働きを担っている教会学校に出席する子どもの数が、30年前の4分の1に激減しているそうです。

その重要性を覚え、私たちは、まず、

1、子どもや若者に対する伝道の働きに関心を持ってください。

2、そして、子どものために祈ってください。

3、さらに、子どもの伝道のためにささげください。

①あなたの時間を

②あなたの賜物を。あなたの耳と口と手と足を。

③あなたの財を。

 

元旦礼拝の時にも申しましたが、今私が示されていることは、この年ぜひ子どもと一緒の礼拝を何回か持ちたいということです。

さて、本日の聖書箇所である哀歌2章19節は、神の民が罪を犯し、真の神から離れたゆえに裁かれて、国が滅び、人々はバビロンに捕虜として引いて行かれるという大変厳しい状況で、預言者エレミヤが涙ながらに書き記した箇所です。

(結論)私たちも、この年、主に向かって両手をあげ、子どもたちの救いのために、切に叫び祈る者となりましょう。