聖書箇所 ヨハネの福音書3章1~16節
3:1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。
聖書箇所 ヨハネの福音書3章1~16節 説教題 『神の国を見るために』 ■序論 聖書が教える神の国とは神の支配である。神の国は目に見える土地や領土ではない。しかし、イエス・キリストを信じる者は、神の国を見ることが約束されている。 1、新しく生まれること(1~3節) イエス・キリストは本書において最初から十字架の使命を示唆している。夜に訪ねて来たニコデモは、イエス・キリストが神から遣わされた教師として捉えていた。彼はパリサイ派に属するサンヘドリンの議員で、彼の魂は光を求めていた。パリサイ派は旧約の律法を遵守すれば神の国が来ると考えていた。しかし、罪ある人間は真面目に生きても、律法を守ることによって神の国には入れない。新しく生まれる者だけが、神の国を見ることができる。イエス・キリストはニコデモに核心部分を告げた。新しく(上から)生まれるとは、イエス・キリストと出会い、信じることである。 2、水と御霊によって生まれること(4~8節) ニコデモは驚いた。新しく生まれるためには、水と御霊が欠かせない。水と御霊とは、水のバプテスマと聖霊のバプテスマのことを指す。つまり、洗礼という水の儀式さえ受ければ神の国に入れるのではない。聖霊による取り扱いとして、罪の悔い改めと信仰告白、神への明け渡しという、内側の新生こそ必要である。イエス・キリストとの出会い、求道のきっかけはそれぞれが異なる。しかし、聖霊が風となって、一人一人の魂に触れ、最善の時に、新しく造り変えて下さることを信じよう。新しく生まれるとは、人間の決心であるととともに、聖霊の働きによる(Ⅰコリント12:3)。 3、キリストの十字架を見上げること(9~15節) ニコデモは水の儀式と、律法の遵守以外に、信仰の道を聞いたことがなかっただろう。新生は、イエス・キリストとの出会いによって始まる。すなわち、イエス・キリストが天から遣わされたお方、人となられた神として信じることである。かつて荒野においてイスラエルの民はヘビの疫病によって滅ぼされる危機があった。その時にモーセが青銅のヘビを旗さおに上げ、仰ぎ見る者は生きた。上げられたヘビは呪いを現わす。まさにイエス・キリストは全人類の罪の身代わりとして十字架で神の呪いを受けられた。新しく生まれるとは、イエス・キリストの十字架を仰ぐことである。 ■結論 神の国はイエス・キリストを信じる人の内に与えられる(ルカ17:20、21)。神の国に生きるのが永遠のいのちである。イエス・キリストが私達を神の国に招き入れて下さる。 |