本日の講壇

聖書箇所 イザヤ書55章113節

説教題  『主を求めよ!お会いできる間に』

■序論

人は神のことばと恵みをいただいてこそ、本当の意味では生きる者となれる存在として神に創られた。人の限られた生涯の中に、神のことばを通して恵みを受けることによって、喜びと豊かさがもたらされる。神は私達にことばを通して呼びかけて、恵みを受け取るように招いておられる。

 

1.生きるためのみことば(1~5節)

神は「水を求めて出て来い」とのみことばを通して、全ての人々に呼びかけている。水は神の恵み、霊的な祝福を示している。神の恵みを受けるためには、自分が渇いている者であるという自覚と神の招きに答える姿勢を持たなければならない。神の恵みは無代価、タダである。「出て来い」との言葉に答えるだけでよい。神のことばに答えたならば、私達は神様ととこしえの契約を結ぶ関係に導かれる。私達が神のみことばに従い、神の恵みを受け取るならば、神の影響が自分を通して周囲にも広がる。神の恵みの証人、キリストの証人として自分の周りの人々にも神を現すことの出来る輝きを持つ者とならせていただこう。神のことばを通して恵みをいただくとき、私達は神の前に真に生きる者となる。

(マタイ7:7、Ⅱコリント4:14,15)

 

2、主に帰る喜び(6~13節)

神はことばを通して恵みを受けるように導かれたが、さらには、悔い改めるように呼びかける。「主を求めよ。お会いできる間に」とは、悔い改めに至るようにとの招きである。悔い改めとは、自分が正しいと思って歩んできた今までの道、自分のはかりごとの一切を捨てて、神の道と神の思いに従う人生へと方向転換することである。それは、神のみこころに自分を委ねて生きる道である。しかし人は悔い改めることをためらう。神のことばが人の内面に働き、信仰が与えられてこそ真の悔い改めに至ることが出来る。神は「わたしの望む事を成し遂げ、言った事を成功させる」と言われる。これは、神のことばが人を変えるという恵みの事実を示している。私達は神のことばに導かれ、悔い改め、主に帰る喜びに満たされよう。

(箴言19:21、Ⅰペテロ1:21)

 

■結論

神のことばは、私達を恵みを受け取るように導き、悔い改めて立ち帰るようにと呼びかける。神のことばに聞いて従う者として歩んで行こう。

聖書 イザヤ書55章113節
55:1 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。
金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。
さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。

55:2 なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、
腹を満たさない物のために労するのか。
わたしに聞き従い、良い物を食べよ。
そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。

55:3 耳を傾け、わたしのところに出て来い。
聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。
わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。

55:4 見よ。わたしは彼を諸国の民への証人とし、
諸国の民の君主とし、司令官とした。

55:5 見よ。あなたの知らない国民をあなたが呼び寄せると、
あなたを知らなかった国民が、あなたのところに走って来る。
これは、あなたの神、主のため、
また、あなたを輝かせたイスラエルの聖なる方のためである。

55:6 主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。

55:7 悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。
主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。
私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。

55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。

――主の御告げ。――

55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

55:10 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、
それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、
食べる者にはパンを与える。

55:11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、
わたしのところに帰っては来ない。
必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

55:12 まことに、あなたは喜びをもって出て行き、
安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、
野の木々もみな、手を打ち鳴らす。

55:13 いばらの代わりにもみの木が生え、
おどろの代わりにミルトスが生える。
これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」