聖書箇所 ヨハネの福音書5章10~29節 説教題 『いのちを与えるキリスト』 ■序論 イエス・キリストには神のすべてが現われている。キリストは私達にいのちを与えるためにこの世界に来られた。キリストを通して神のメッセージを受け取ろう。 1.きょうは安息日だ(10~16節) ベテスダの池では38年間病に臥していた男が癒された。きっかけはキリストとの出会いである。彼は床を取り上げて歩き出した。ところが、ユダヤ人達は安息日に関する律法を持ち出し、彼を癒したのは誰かと問いつめた。本来、律法は安息日を聖なる日とし、神を礼拝することを第一とする規定だが、ユダヤ人達は癒された男と、癒したキリストの行為を裁いた。しかし、キリストは彼を宮で見つけ、彼の罪が赦されたので、今後は罪を犯されないように告げた。律法は人を救うのではない。キリストが私達の過去、現在、未来に至る罪をも赦し、聖めて下さると信じよう。 2、父は今に至るまで働いておられる(17~23節) ユダヤ人達はキリストに反発した。キリストを罪に定めるとは、神への冒涜で、全人類の救いを否定することである。キリストは父なる神の御心を行うために遣わされたことを明らかにした。つまり、父なる神と子なるキリストは一つである。しかし、ユダヤ人達は目の前にいる方がキリストだと信じていないので、自分を神の子と呼ぶキリストに殺意を抱いた。神と人、旧約と新約、律法と福音を結ぶのはキリストだけである。だから、キリストを敬うことは、父なる神を敬うことである。キリスト来臨以来、今に至るまで神が定められた救いの日が継続していることを覚えよう。 3、死人が神の声を聞く時が来る(24~29節) キリストを信じる者は永遠のいのちを得ることが宣言された。本来、神に背き、神から離れた生活をしている罪人は、神との交わりのない霊的な死人である。しかし、その死人にいのちを吹き入れて、生かして下さるのはキリストである(エペソ2:4~6)。そして、永遠のいのちをいただいて、生涯を終えた聖徒達は、やがてキリストが再臨する時に、復活することが約束されている。霊的な死人でも神の声を聞くならば、新しいいのちをいただけるチャンスが、今の恵みの時代に備えられている。永遠のいのちに至るキリストのみことばを聞こう。 ■結論 キリストは私達にいのちを与えるために、この世に生まれ、罪の身代わりに十字架にかかられた。今年のクリスマスもこの良き知らせを、喜んで人々に伝えよう。 |