ヨハネの福音書5章10~29節
5:10 そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った。
「きょうは安息日だ。床を取り上げてはいけない。」

5:11 しかし、その人は彼らに答えた。
「私を直してくださった方が、『床を取り上げて歩け。』と言われたのです。」

5:12 彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け。』と言った人はだれだ。」

5:13 しかし、いやされた人は、それがだれであるか知らなかった。
人が大ぜいそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。

5:14 その後、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。
「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。
そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」

5:15 その人は行って、ユダヤ人たちに、
自分を直してくれた方はイエスだと告げた。

5:16 このためユダヤ人たちは、イエスを迫害した。
イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである。

5:17 イエスは彼らに答えられた。
「わたしの父は今に至るまで働いておられます。
ですからわたしも働いているのです。」

5:18 このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。
イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、
神を自分の父と呼んでおられたからである。

5:19 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。
子は、父がしておられることを見て行なう以外には、
自分からは何事も行なうことができません。
父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。

5:20 それは、
父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。
また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。
それは、あなたがたが驚き怪しむためです。

5:21 父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、
子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。

5:22 また、父はだれをもさばかず、
すべてのさばきを子にゆだねられました。

5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。
子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。

5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。
わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、
永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、
死からいのちに移っているのです。

5:25 まことに、まことに、あなたがたに告げます。
死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。
そして、聞く者は生きるのです。

5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、
子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。

5:27 また、父はさばきを行なう権を子に与えられました。
子は人の子だからです。

5:28 このことに驚いてはなりません。
墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。

5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、
悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。

本日の講壇

 

聖書箇所 ヨハネの福音書5章10~29節

説教題  『いのちを与えるキリスト』

■序論

イエス・キリストには神のすべてが現われている。キリストは私達にいのちを与えるためにこの世界に来られた。キリストを通して神のメッセージを受け取ろう。

 

1.きょうは安息日だ(10~16節)

ベテスダの池では38年間病に臥していた男が癒された。きっかけはキリストとの出会いである。彼は床を取り上げて歩き出した。ところが、ユダヤ人達は安息日に関する律法を持ち出し、彼を癒したのは誰かと問いつめた。本来、律法は安息日を聖なる日とし、神を礼拝することを第一とする規定だが、ユダヤ人達は癒された男と、癒したキリストの行為を裁いた。しかし、キリストは彼を宮で見つけ、彼の罪が赦されたので、今後は罪を犯されないように告げた。律法は人を救うのではない。キリストが私達の過去、現在、未来に至る罪をも赦し、聖めて下さると信じよう。

 

2、父は今に至るまで働いておられる(1723節)

ユダヤ人達はキリストに反発した。キリストを罪に定めるとは、神への冒涜で、全人類の救いを否定することである。キリストは父なる神の御心を行うために遣わされたことを明らかにした。つまり、父なる神と子なるキリストは一つである。しかし、ユダヤ人達は目の前にいる方がキリストだと信じていないので、自分を神の子と呼ぶキリストに殺意を抱いた。神と人、旧約と新約、律法と福音を結ぶのはキリストだけである。だから、キリストを敬うことは、父なる神を敬うことである。キリスト来臨以来、今に至るまで神が定められた救いの日が継続していることを覚えよう。

 

3、死人が神の声を聞く時が来る(2429節)

キリストを信じる者は永遠のいのちを得ることが宣言された。本来、神に背き、神から離れた生活をしている罪人は、神との交わりのない霊的な死人である。しかし、その死人にいのちを吹き入れて、生かして下さるのはキリストである(エペソ246。そして、永遠のいのちをいただいて、生涯を終えた聖徒達は、やがてキリストが再臨する時に、復活することが約束されている。霊的な死人でも神の声を聞くならば、新しいいのちをいただけるチャンスが、今の恵みの時代に備えられている。永遠のいのちに至るキリストのみことばを聞こう。

 

■結論

キリストは私達にいのちを与えるために、この世に生まれ、罪の身代わりに十字架にかかられた。今年のクリスマスもこの良き知らせを、喜んで人々に伝えよう。