聖書箇所 ヨハネの福音書5章30~47節 説教題 『聖書の中心はキリスト』 ■序論 アドベント第二週を迎えた。今年も各地でクリスマスはお祝いされているが、教会はクリスマスの本当の目的を伝えていこう。聖書の中心はイエス・キリストである。 1.キリストについての証言(30~36節) キリストが生まれる前に道備えの役割をしたのが、バプテスマのヨハネである。彼は1章でキリストについて証言している(1:15~34)。キリストははじめから存在し、この世界を造られたお方である(1:10)。しかし、民はそのことを受け入れなかった(1:11)。人々がキリストを認めないことをキリストは御存知であった。しかし、人々が拒絶しても、イエス様が御子キリストである事実は何ら変わらない。キリストがもたらす罪の赦しと永遠のいのちは、信じる者に与えられる真実なプレゼントである。私達は神のことばである聖書が証言しているイエス様がキリストであると信じよう。 2、キリストを遣わされた父なる神(37~44節) キリストは父なる神から遣わされてこの世に来られた(1:18)。父なる神様のことを見た者はいないが、キリストを通して、父なる神がどういうお方なのかが現わされている。現代も聖書の御言葉を通して、イエス・キリストと出会うことができる。それは、聖霊が働かれるからである。父・御子・御霊の神は、イエス・キリストが神であることを私達が信じるために、今も働いておられる。たとえ聖書を読んでも、キリストを信じることなしは誰も永遠のいのちには至らない。私達が永遠のいのちを得るために、聖書は書かれた。キリストを遣わした父なる神の御心を知ろう(20:31)。 3、モーセが書いたキリスト(45~47節) モーセはユダヤ人が敬愛する旧約聖書を代表する人物の一人である。神様はモーセを通して民に律法を与えたが、モーセも民がその律法を全て守ることはできないと承知していた。案の定、民は何度も律法違反の罪を繰り返した。律法は神様が定める罪の基準を教えるものである。そして、人々に自分が罪人であることを知らせる。しかし、一度も罪を犯したことがない神の御子キリストが、全人類の罪を身代わりに十字架で負って下さったのである。これが福音である。神様が与えられた律法(神の義)と福音(神の愛)を教会は伝えていこう。 ■結論 父なる神様がひとり子イエス様を世に遣わしたのは、世を救うためである(3:16)。私達も聖書の中心、クリスマスの中心はキリストであることを信じ、証言しよう。 |