聖書箇所 マルコの福音書6章30~44節 説教題 『いのちのパンを分け与えよう』 ■序論 主の恵みの内に2017年を迎えられたことを感謝しよう。今年の標語聖句マルコ6章40節と教会標語「いのちのパンを分け与えよう」を共に分かち合おう。 1.イエス様に託された五つのパンと二匹の魚(30~38節) イエス様は弟子たちを静かな所で休ませようとしたが、群衆は先回りして彼らを待っていた。イエス様は羊飼いのいない羊のような群衆をあわれみ、霊の糧とともに肉の糧を備えようとした。イエス様は弟子たちに群衆の食事をどう準備するか尋ねた。弟子たちの計算は現実的だが、信仰的ではなかった。彼らの計算にはイエス様が入っていなかった。五つのパンと二匹の魚を差し出しのは少年である(ヨハネ6:9)。イエス様はその僅かな弁当を用いられた。イエス様に対する信仰に立つ時、イエス様は今あるものを増やして下さると信じよう。 2.百人、五十人に固まって座った群衆(39~41節) イエス様は群衆を組にして座すように命じ、人々は五十人、百人と固まって座った。後にパンと魚を配布するためには理にかなう方法である。イエス様が天を仰いで祝福を求めると、パンと魚は増えていった。全員にパンと魚が行き渡るために、弟子たちは五十人、百人ごとに配った。自分のものを自分で持っているよりも、イエス様に捧げるならば、イエス様がそれを用いて、自分自身も幾倍もの恵みにあずかることができる。教会が分け与えるいのちのパンはイエス様御自身である。今年もイエス様とイエス様の恵みを人々と分かち合おう。 3.満腹になった五千人(42~44節) イエス様がパンと魚を増やし、弟子たちが配り、群衆は満腹になった。もとは無名の少年が持つわずかな弁当から始まっている。パンは12かご余ったが、食べたのは成人男性だけで五千人いた。人には考えつかず、人にはできないことも、神であるイエス様はして下さる。礼拝共同体、宣教共同体として、当教会が今年取り組むことは何か。当教会では一度に迎えられるのは五十人、百人が限度である。しかし、少なくともこの地域には五千人以上の人達がいる。その人々がイエス様の恵みに満たされるように祈り、福音を伝えていこう。 ■結論 9:23 五千人以上を宣教の対象としよう。百人、五十人が固まって座れる席を設けよう。弟子達の如く、いのちのパンであるイエス様を人々に分け与えよう。 |