本日の講壇
聖書箇所 詩篇34篇1~22節
説教題 『主を味わい、見つめよ』
■序論
いのちのパンであるイエス・キリストを伝え、分かち合う歩みを進めて行く原動力は、主のすばらしさを味わい、これを見つめる恵みの経験である。
1、主を味わう経験を(1~10節)
詩篇34篇は、危機の中で主に助けられたダビデの賛美と感謝で構成されている。ダビデが主のすばらしさと恵みを経験したのは、命が脅かされる恐怖の中、あるいは辱めの中、惨めさの極みの時であった。絶望の中で、主の答えと助けを経験したダビデは立ち上がることが出来た。ダビデが経験した主の恵みは、どうしようもない危機と苦しみの中での恵みであった。では、主の恵みは試練の時にしか味わえないのだろうか。決してそうではない。ダビデは危機の中で助けて下さる主ではなく、主を求めことと、主ご自身を見つめること自体が、主を味わう恵みの経験であると強調している。私達はどんな時であっても共におられる主との信頼関係から来る恵みの経験を味わう者となろう。
(ヨハネの福音書17:10、15:9)
2、主を恐れる生き方へ(11~22節)
主の恵みを味わう経験をした者は、「主への恐れ」を人生の歩みの中で持つようになる。ダビデは自分が味わった恵みを、主を恐れる生き方として人々に伝えようとする。私達は主の恵みを味わうこと、すなわち、いのちのパンであるキリストを味わうことで、人々に主を恐れる生き方のすばらしさを伝え、分かち合うことが出来る。ダビデは主を恐れる生き方とは、神様からの御言葉を通して人生の意味や生きがいを知り、神様から与えられている、一瞬一瞬の時を愛して感謝して生きることだと伝えている。そして、主への恐れは、自分の行動、振る舞い、言葉の全てに現されていくものである。しかし、主を恐れない生き方を選択する者は、罪を犯して生きる結果になる。主を恐れて生きる者には悩みもあるが、主の救いと助けは必ずある。私達は、主を恐れる者として、主ご自身に希望を置く歩みをする者である。主を恐れる生き方から経験できる恵みを通して、私達は主の素晴らしさを証する生き方をして行こう。
■結論
私達はいのちのパンである主イエス・キリストを味わう経験を通して、恵みの日々を過ごそう。そして、主を恐れる生き方の素晴らしさを自らの生き方を通して証し、伝えて行こう。
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