聖書箇所 ヨハネの福音書7章3753
7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、
大声で言われた。「だれでも渇いているなら、
わたしのもとに来て飲みなさい。

7:38 わたしを信じる者は、
聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、
生ける水の川が流れ出るようになる。」

7:39 これは、
イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを
言われたのである。
イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、
御霊はまだ注がれていなかったからである。

7:40 このことばを聞いて、
群衆のうちのある者は、「あの方は、
確かにあの預言者なのだ。」と言い、

7:41 またある者は、
「この方はキリストだ。」と言った。
またある者は言った。
「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。

7:42 キリストはダビデの子孫から、
またダビデがいたベツレヘムの村から出る、
と聖書が言っているではないか。」

7:43 そこで、群衆の間にイエスのことで分裂が起こった。

7:44 その中にはイエスを捕えたいと思った者もいたが、
イエスに手をかけた者はなかった。

7:45 それから役人たちは祭司長、
パリサイ人たちのもとに帰って来た。
彼らは役人たちに言った。
「なぜあの人を連れて来なかったのか。」

7:46 役人たちは答えた。
「あの人が話すように話した人は、
いまだかつてありません。」

7:47 すると、パリサイ人が答えた。
「おまえたちも惑わされているのか。

7:48 議員とかパリサイ人のうちで、
だれかイエスを信じた者があったか。

7:49 だが、律法を知らないこの群衆は、のろわれている。」

7:50 彼らのうちのひとりで、
イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。

7:51 「私たちの律法では、
まずその人から直接聞き、
その人が何をしているのか知ったうえでなければ、
判決を下さないのではないか。」

7:52 彼らは答えて言った。
「あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。
ガリラヤから預言者は起こらない。」

7:53 〔そして人々はそれぞれ家に帰った。

本日の講壇2017528

聖書箇所 ヨハネの福音書7章3753

説教題 『渇いている人は来なさい』

■序論

ペンテコステ記念礼拝・会堂献堂20周年記念礼拝を次週に控え、先日は大掃除をして備えた。主のみことばを通して、私達の信仰も整えられよう。

 

1、信じる者に注がれる聖霊(3739節)

7章ではエルサレムにおける仮庵の祭りの様子が記されている。祭りの終わりの日は、ギオンから黄金の器で水が運ばれ、神殿の祭壇に注がれた。イエス様はその儀式になぞらえて、魂の渇きと生ける水について話された3738節)4章でサマリヤの町で井戸に水くみに来た女性が「生ける水」であるイエス様に出会った。つまり、イエス様を信じて救われる者は水のバプテスマ、イエスを宣べ伝えていく者は聖霊のバプテスマを受ける。主は聖霊に対する渇きを持つ人を、宣教への情熱を持つ人へと変えて遣わして下さると信じよう。

 

2、ダビデの子孫としてキリストが来られる約束(4044節)

イエス様に対する群衆の意見は対立した。キリストであると認める人達(41節)も実は自分達の理想とする政治的・軍事的リーダーを求めていた。また、ガリラヤ育ちのイエス様をキリストと認めることに反発もあった。しかし、キリストがダビデの町ベツレヘムで誕生する預言は実現した(ミカ52。イエス様の生涯を通して、神の時に神の御計画はすべて実現し、神の御栄光は現わされる。神を信じて従う者の人生は神のものである。私達の人生を神の約束に合わせるのではなく、神の約束を信じて、私達の人生を委ねていこう。

 

3、役人、群衆、ニコデモを非難する祭司長たち(4553節)

イエス様を捕えられずに戻って来た役人たちを祭司長らは詰問した。しかも役人らはイエス様の話を聞き、神の権威を認めるようなことを言っている。祭司長らの怒りの矛先は、律法を知らない群衆に向けられた。しかし、議員のニコデモは、律法に基づいて公平に裁くべきと提言する(申命記11617。しかし、祭司長らはガリラヤ出身のイエス様を認めようとするニコデモの話も切り捨てた。ニコデモはイエス様が十字架で死んだ後、信仰を現わす行動に出た1939。主を信じて従う人は聖霊に強められて行動できると信じよう。

 

■結論

マタイ1028 人を恐れず、主を恐れよう。今も主は渇いている人を招いておられる。神の約束と御計画を信じ、聖霊の力を受けて、今週も遣わされよう。