1:1 キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、
ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、
また監督と執事たちへ。

1:2 どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたの上にありますように。

1:3 私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、

1:4 あなたがたすべてのために祈るごとに、
いつも喜びをもって祈り、

1:5 あなたがたが、
最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。

1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、
キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを
私は堅く信じているのです。

1:7 私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいのです。
あなたがたはみな、私が投獄されているときも、
福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、
私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。

本日の講壇201779

 

聖書箇所 ピリピ人への手紙117

説教題 『喜びの源泉』

■序論

教会の迫害者パウロは、イエス・キリストによって救われ、教会を生み出す伝道者となった。捕われたパウロは、ローマの獄中からピリピ教会に喜びの手紙を書き送った。喜べないような状況でも喜ぶことができる源泉は何か。

 

1、キリスト・イエスにある喜び

ピリピ教会はかつてパウロ達が伝道によって誕生した教会である(使徒16章)。ローマの獄中でパウロは先行きが見えずに死をも覚悟していた(21節)。しかし、パウロはすべてをイエス様に委ねて、いま生かされていることを喜んでいた。彼の心にはいつもキリスト・イエスがおられたからである。先行きが見えない中でも私達に生きる喜びを与えるのはイエス・キリストとのつながりである。イエス様とのつながりは、誰にも奪われない確かな喜びである。私達もどんな時にもイエス様とのつながりの中で生かされていこう。

 

2、交わりのうちに与えられる喜び

パウロとピリピ教会の人々の間には深い絆があった。彼らは神様から共通の恵みを与えられていたからである。まず、ピリピに福音が伝えられた「最初の日」(5節)から彼らは福音を共有していた。そして、ピリピ教会はパウロが投獄されていても、福音を伝えていく宣教の働きを共有していた。さらに、互いのための祈りを共有していた。獄中にいてもパウロが孤立しなかったのは、イエス・キリストにある交わりがあったからである。神との交わり、他社との交わりが私達に喜びを与え、私達を支えていることを感謝しよう。

 

3、将来への希望から生まれる喜び

最初の日から良い働きを始められたイエス様はそれを完成して下さるお方である。パウロの喜びの源泉は、イエス様が救いを完成して下さることを信じる信仰によるものである。自力で得た喜びは、自分で必死に守ろうとしてしまうが、イエス様が与えて下さる喜びは、誰からも奪われることのない確かな喜びである。神様は御計画を必ず成し遂げて下さるお方なので、パウロが獄中にいても彼に代わってピリピ教会の人達が福音を伝えていることがパウロに喜びをもたせた。主が私達を通して御業を進めて下さることを信じよう。

 

■結論

全てを主に委ねて「キリスト・イエスの日」を見つめよう。神様と他者との交わりを通して、聖霊による喜びと希望をいただき、信仰生涯を全うしよう。